病気の真実:身体が語る愛と魂のメッセージ

こんにちは、瑠璃です。
今日は、病気の本質的な癒し方についてお伝えします。
長年肉体的な悩みを抱えている方。
速く痛みや違和感から解放されたい方。
なぜ病気になったのか、その意味が知りたい方。
これまで、事故や怪我、病によって方向転換を余儀なくされたという方も、どのようにして受け止めたらいいのだろうと思う方もいらっしゃるでしょう。
今日は、私自身が約20年に渡る体調不良を克服した経験から、それぞれの病気の意味とその癒し方についてお話します。
今日はお伝えする内容
・病気の三層構造
・症状が現れる場所とその意味
・体は語り掛ける
・病気は悪ではない
・病気がくれたメッセージ
ぜひ、最後までお読みください。
私がスピリチュアルに興味を持ったきっかけ
私がスピリチュアルに興味を持ったきっかけは、自分の病気を治すためでした。
今では、2000名以上の方に指導させていただいている私ですが、今日はその中でも特に重要なことについてシェアしますね。
病気の三層構造
病気は以下の三つの層で理解することができます。
- 物質的な層
- 細胞・組織レベルでの変化
- 目に見える症状
- 身体機能の異常
- 心理的な層
- 生命エネルギーの流れの停滞
- 感情やトラウマのブロック
- 目に見えない歪みや不調和
- 魂の層
- 本質的な自己との乖離
- 魂の目的からのずれ
- 内なる真実との不一致
これら三つの層は密接に関連しており、どれか一つの層だけを見ても、病気の本質は理解できません。
心理的な層が及ぼす影響
この中でも、特に多い原因が「②心理的な層」です。
抑圧された感情の影響は非常に大きく、感情の持つ強力なエネルギーは、適切に表現されない場合、体に影響を及ぼします。
抑圧される主な感情
- 怒り
- 自己主張を抑制された
- 境界線を侵略された
- 不当な扱いへの沈黙
- 悲しみ
- 処理しきれていない喪失の体験
- 自己存在の拒絶
- 裏切りや挫折
- 恐れ
- 未来への不安
- 変化への抵抗
- 安全への執着
- 罪悪感
- 深い後悔や悲しみ
- 過度の責任感
- 完璧主義
私も今思えば、感情を露わにすることで自分が人から批判されたり注意されたり否定されることが怖く、これらの感情をかなり強烈に抑圧していたと思います。
理性と感情の果てしなき戦い
感情と対になるのが、理性です。
私たちは手に負えない不都合な感情を感じると、しばしば理性で抑え込もうとします。
つまり、感情と理性が常に戦っている状態と言えばいいでしょう。
感情のエネルギーは非常に大きく、しばしば破壊的になることもあります。怒りに任せて、物を破壊したり、人を傷つけたりするケースを見たことがありますよね。
そのため、私たちは感情を無意識に恐れるようになります。
体は語り掛ける
身体には感覚や衝動、知覚、そして記憶が蓄積されています。
しかし、多くの場合、私たちは体の声を聴かず、暴走する頭の声ばかりに従っています。
ここに突破口があります。それは、身体の声を聴くことです。
実際の体験談
ここで、いくつかいただいた感想をご紹介します。
今日は後半の瞑想で、思いがけない癒しがありました
左肺の後ろ側に痛みがありました。
意識を沿わせると、両親それぞれの最後の場面が現れました。
私は最後に立ち会うことができなかったのですが、そのことを悔いている。
罪悪感というよりも、深い悲しみのようなものを感じました。
もっと幸せを感じさせてあげられる存在でありたかった、というような思いです。
その後、「息子に私は同じ思いを味わわせてしまうのではないだろうか?」など、モヤモヤしたものが湧いたのち、「息子に会いたい!」と思いました。
もっと大切に向き合ってあげたかった、抱きしめてあげたかったという想いが湧いて、涙が止まりませんでした。
こんなに思っていたとは驚きでした。
過去のことは受け止めているつもりでした
しかも記憶が曖昧で、インナーチャイルドの癒しがいまいちわかっていなかったため、「どうしたらいいんだろう」と思っていました。
しかし、スキャンの時、左足首になんか冷たい風が吹いたので、そこを瑠璃さんにヒーリングして頂きました。
その時、思い出しました。
4、5歳の頃、自転車のタイヤに左足を巻き込んでぐちゃぐちゃになったことを。
痛かったのに声が出なくて怖かったことを。
大人になってからも、なぜか左側だけ怪我が多く、同じ所を30歳位の時にまた変に捻って、今も時々痛いことを。
「そっかー」とすごく腑に落ち、「ごめんねー」という思いでいっぱいです。
ワークの後のアウトプットでも「左側が重い」と言われてびっくりしました。
終わってから気付きましたが、今、足が軽いです。ありがとうございました!
今日は瞑想中に過去の出来事にタイムスリップしました
背中を蹴られた出来事で、背中に悲しみが残っていたので、そこを後半の瞑想で浄化しました。
悲しみを聞いて慰めて、光の意識を当てて手当をするイメージです。
すると光となって背中の外へ出て、上にあがり消えていきました。
代わりに、光の玉が背中に入りました。
前回も同じように、7歳の頃にタイムスリップして、こう感じていたことを思い出しました。
「私は価値がない」「私はいないも同然」「私は辛い」「私は見て貰えない」「私は大切にされない」という気持ちを、小さい私から聞きました。
この時に、生きる術として感情を感じることをやめたらしく、小さい私がしおれて心が死んでしまう映像を見て、沢山涙が出ました。
ここが私の根っこだったんだと思いました。
引き続き、癒していきたいと思います。
右肋骨、第4チャクラの右横に詰まりがありました
この日、一番気になったのは右肋骨、第4チャクラの右横に詰まりがありました。
ここから悲しみ「存在の承認」という言葉が出てきました。
その後、イメージでベビーベッドの私をのぞき込んでいる母に向かって、
「私を認めて!」という気持ちで見上げていました。
母は育児が怖かった。
ちゃんと育てられるか不安だった。
赤ちゃんではなく、自分の不安に意識が向いていたんだと感じました。
あれから数日が過ぎて、母への想いがまた一つ解けていくと、身体が楽になり、
「母も一人の未熟な人間だった」と、懐かしく思い出すことができました。
ありがとうございました。
体には痛烈な記憶が眠っています
このように、体の一部分には、あまりにも耐えがたい、トラウマともいえる痛烈な記憶が眠っています。
それを知ることは、しばしば衝撃的な体験をもたらすでしょう。
私のスタイルは、瞑想を使って体の声を聴くという方法です。
そして、忘れていた過去の記憶を読みだしたとき、すべての謎が解けるのです。
その結果、何度も繰り返す痛みや、何度も繰り返す症状が消えていくことも少なくありません。
症状とその原因
それでは、一般的な症状別のスピリチュアルな見方をご紹介しましょう。
頭痛や頭部の症状
- 思考の過剰
- 自己否定的な考え
- 決断の回避
目の症状
- 見たくない現実の存在
- 未来への不安
- 真実からの逃避
耳の症状
- 聞きたくない情報
- コミュニケーションの問題
- 直感の無視
心臓
- 愛の表現の抑制
- 感情の押し殺し
- 人生の喜びの損失
肺
- 自由の制限
- 新しい体験への恐れ
- 人生の制限
胸
- 子育ての問題
- 女性性の否定
- 愛情の受容と提供の課題
胃
- 消化できない体験
- 受容の困難
- 愛情の不足
腸
- 手放すことへの恐れ
- 古い感情の保持
- 変化への抵抗
肝臓
- 怒りの蓄積
- 自己批判
- エネルギーの停滞
あくまでこれは一般的な見方で、実際に私が見てきた中では、一概に臓器と原因が対応しているわけではありません。
しかし、ヒントや参考になるでしょう。
流れることと流すこと
さて、ネガティブな感情が何十年も肉体に蓄積し、滞っていると聞くと、次のように思われるかもしれません。
- 怒りや憎しみ、破壊的な感情を持ってはいけない。
- 感情は体にダメージを与えるから、感じてはいけない。
でも、それは違います。
私たちに大きな傷跡を残し、それが後に大きな病気にまで発展する可能性があるのは、私たちがその感情を飲み込んだ場合のみです。
感情という強烈なエネルギーの流れを自ら止めてしまった場合、このひずみは体に大きなダメージを残します。
そして、そのダメージが一定程度蓄積したのち、明らかな症状となって表れるのです。
感情を飲み込むことの影響
本当は言いたかったのに言えなかった。
本当は許せなかったのに。
本当は怒っていたのに。
それをぐっと飲み込んで、なかったことにしたとき、そのひずみが体に蓄積されます。
スポンジは、高さ10mから落としても壊れることはありません。
それは、スポンジには弾力性があり、衝撃を吸収できるからです。
でも、ガラスのコップはどうでしょうか?
高さ10mから落としたら、粉々に砕け散ってしまいます。
どんな衝撃であっても、私たちがそれを全身で感じ、体の中を通り抜けさせることができれば、スポンジのように傷つくことはありません。
ところが、私たちは体をこわばらせ、頑なに感情を感じることを拒否しようとします。
すると、まるでコップにひびが入ってしまうように、些細な刺激であっても私たちの身体は壊れてしまうのです。
具体例:感情を抑圧した女性のケース
ある女性は、父親からひどい暴言を浴びせられて育ちましたが、
「それは自分が悪いからだ、自分に落ち度があるからだ」と思い、耐えて耐えて耐え抜いてきたそうです。
それから、会社の上司に理不尽なことでたびたび叱責され、人前でさらし者にされましたが、
それでも「自分に能力がないからだ」と、一切口答えせず、受け入れてきました。
彼女は40代になってから、リウマチと喘息を発症しました。
病気は悪ではない
多くの人は病気を「治すべき敵」「克服すべき障害」として捉えています。
症状を取り除くことばかりに目を向け、その根本にある意味を見失ってしまいがちです。
しかし、より深い視点から見ると、病気には私たちの人生に重要な意味があることが分かってきます。
それは単なる身体の不調ではなく、私たちの存在の深いレベルからのメッセージなのです。
病気が示す深い原因
病気の最も深い原因の一つは、私たちが本来の自分自身から離れてしまっていることにあります。
- 社会の期待に応えようとする。
- 他人の価値観を自分のものとする。
- 本当の望みを押し殺す。
この状態が続くと、魂は私たちに警告を送り始めます。
それが最初は小さな体調不良として現れ、やがてより深刻な症状へと発展していくのです。
たとえ肉体をどれだけ切り刻んでも、細胞のひとつひとつを見ても、そこに病気になる原因は存在しません。
医者の目には本当に病気になった根本原因は映りません。
医者が見れるのは、魂が自己を忘れ、心がエネルギーを歪ませ、周辺のエネルギー空間を歪ませ、細胞を歪ませ、それが肉体に現れた結果です。
科学的事実に置き換えられた病気
多くの方が、覚醒への階段を登る中で、
「こんなに頑張る必要はなかったんだ」「無理して強がる必要はなかったんだ」
とおっしゃいます。
今日では、
- どんなスキルを身に付けるか
- どんな能力を身に付けるか
- 何ができるのか
ばかりに重点がおかれますよね。
でも、本当に大切なのは、明確に観察できたり、言葉で記述できる部分とは限らないのです。
病気についていえば
- これはどのような病気か
- どのような治療法がいいのか
- どの医者や薬を選ぶべきか
といった、病気を記述したり、病気を改善するテクニックばかりに注目がいき、
病気になった本当の原因に目を向けられることはなく、私たちの内面の世界は置き去りにされています。
例えば、ガンの診断、検査、症状、治療法について1万時間語ったところで、ガンの原因を語ったことにはなりません。
でも、見事にこれで問題が解決したかのように錯覚してしまうのです。
どれだけ医学書を読んで、肉体への対処が上手くなったからといって、それは病気の半分を捉えたことにしかなりません。
本当に大事な、本質的な原因については依然として取り残されたままです。
魂からのメッセージ
病気は、魂からの愛に満ちたメッセージです。
それは私たちに「立ち止まること」を促してくれます。
- 今の生き方を見直したり、本質的な価値を追究したり、内なる声を聴くことの大切さを教えてくれます。
そして、新しい方向性を示してくれます。
魂の目的を思い出し、真の自己との再会を果たし、より本質的な生き方へ導いてくれるでしょう。
さらに、そういった経験を通じて深い気づきを得ることで、意識の拡大を図っていくのです。
そう、もともと我々がそうであったように、スピリットの世界へと戻っていくのです。
病気を通じて私たちは
- 本当の自分と再び出会い、自己に対するより深い理解を得る
- 新しい意識へと目覚める
というチャンスを与えられています。
どんなに辛い症状や状況であっても、それには必ず意味があります。
その意味に気づき、受け取ることで、病気は単なる「苦しみ」から「贈り物」へと変容していくのです。
私の体験
私自身、20年以上の体調不良を通じて、このことを身をもって学びました。
それは決して易しい道のりではありませんでしたが、振り返ってみると、この経験がなければ今の深い理解や気づき、そして使命に目覚めることはなかったでしょう。
私がこの不調と真剣に取り組む中で、たまたま受けたヒーリングがあまりに強烈だったため、ヒーラーを志すようになりました。
そう考えれば、私にとっての病気とは、使命に目覚めるための宝物でした。
物理的要因や環境要因も重要
当然のことながら、この動画は、病気に関する物理的要因や環境要因、遺伝による影響などを否定したり除外するものではありません。
私がここで目指しているのは、非常に現実的で多角的な視点を得ることです。
スピリチュアルな世界を完全に否定し、目に見える物しか信じないという態度も間違っていますし、
あまりに物質世界を軽視しすぎて、スピリチュアルな世界に一方的に原因を探す態度もまた、間違っています。
本当の変容とは
ひとつ前の段階を捨てるのではなく、ひとつ前の段階に軸足を置きながら、次の段階へ足を踏み入れること。
つまり、より広い範囲へと意識が拡大していくこと。
これが本当の変容です。
病気の原因を肉体レベルではなく心のレベルにあると捉えるならば、
肉体レベルでの病気の根源を探すのをやめる、というわけではありません。
肉体レベルのケアを全く何もしなくてよいかというと、そうではありません。
心のレベルに目を向ける
今までは、肉体レベルしかケアしたり問題を探していなかったけれど、それに加えて心のレベルを見ていきます。
例えば、
- 「言えなかったことはなかったかな」
- 「我慢していたことはなかったかな」
- 「負担に感じていたことはなかったかな」
- 「本当はやりたくないのにやっていたことはなかったかな」
こうしたことについて考えてみることが大切です。
私の選択
私はある時を境に、田舎に引っ越し、食事も全てオーガニックに変えました。
もし私が、自分の生活を改めなかったら、有害な物質を体内に入れるのをやめなかったら、
私は今のような健康を取り戻すことはできなかったでしょうし、今のような仕事をすることもなかったでしょう。
あなたの中に答えがあります
あなたの中には、必ず答えがあります。
焦らず、優しく、その答えに耳を傾けていきましょう。
この記事が、あなたの新しい気づきと理解のきっかけとなれば幸いです。
それではまたお会いしましょう。
愛と平和な世界へ
瑠璃でした。