過去の鎖を断ち切る鍵:今この瞬間から自由になる方法

こんにちは、瑠璃です
今日は、どんな悩みからでも解放される方法についてお伝えします。
ショックなことがあって立ち直れない…
過去のことが何度も思い出されて辛い…
嫌なことが頭から離れない…
忘れたいのに執着してしまう…
こんなふうに想い悩んだり、辛い時期を過ごすことってありますよね。
今日は、どんな悩みや辛い経験であっても、それを乗り越えるためのある考え方についてお伝えします。
たったひとつのあることを理解するだけで、
あなたの悩みが嘘のように消え、本来の自分のレールに乗ることができるのが体感できるでしょう。
ぜひ最後までお読みください。
それでは今日の本題です。
恐らくあなたは、想像以上の困難や苦難に直面したり、
辛かったことが忘れられず、解決方法を探していたり、
過去の記憶を何度も何度も頭の中で再生されては、自分を苦しめていることに気づいているのでしょう。
そして、あの時、別の選択をしていれば…
あの出来事さえなかったら…と悔やみ、負のループに入っていきます。
過去への後悔を捨てる方法
私たちは普段から、過去を思い出しては「ああすればよかった」「こうすればよかった」と後悔します。
特に、これは大きな出来事を経験している方ほど何度も頭をよぎるでしょう。
もし、もっと病気の前兆に早く気づけていれば…
あの時、あの職場を選ばなければ…
あの時、ちゃんと断れていたら…
あの時、自分をもっと大切にしてあげられていたら…
ある女性は、父親が亡くなる1日前に電話をしようと思ったのに電話をせず、
亡くなった後、「あの時電話をかけていれば」と何年も後悔していたそうです。
彼女は「あの時、自分が直感を信じて電話をしていれば、父は助かっていたかもしれない」と、
何度も何度も自分を責めていました。
ところが、どれだけ過去を悔やんだところで、
過去に戻っていって、もう一度別の選択肢を選びなおし、それを体験することは不可能です。
過去にもう一度肉体を連れて戻ることは許されていないのです。
唯一変えられるのは、過去の解釈と過去の心の中だけです。
ここで、もうひとつ認識を変えるための重要な見方があります。
それは、過去のその時点においては、他の選択肢を選ぶことは不可能だったということ。
つまり、みな、その時点で「これがベストだ」と思う選択肢を選んでいるのです。
これはつまり、
例えばあなたが友達選びで後悔したとしても、
職場選びで後悔したとしても、
病気の治療法選びで後悔していたとしても、
当時のあなたが選んだものは必然であり、それ以外の選択肢は取り得なかったということです。
例えばもう一度、過去に戻ったら、ここからやりなおしたい
と思っていたとしても、そう思えるのは過去から今までのあなたの経験があるからであって
今のあなたの考えなくして過去に戻ったとしても、また同じ選択肢を選ばざるを得ないでしょう。
例えば、後日裏切られることになるある女性がいたとしましょう。
当時はその人に憧れていたあなたは、彼女から今度出かけようと誘われた時、あなたの胸は高鳴っていて、絶対にYESと言ったでしょう。
彼女からお金を貸してほしい、と言われた時も、信頼されているという喜びとともに、即答したでしょうし、疑うことすらできなかったはずです。
仕事や就職においてもそうです。
両親がお金で苦労していたのを見ていたあなたは、内定をもらった会社の中で最も給与水準の高い企業を迷わず選びました。
あなたはずっとお金で苦労したくないと思っていたので、そうすることは必然であり
やりがいや職場環境を優先することはできなかったでしょう。
後々、過労によるうつ病を発症したとしても、当時は自分が選んだ職場が間違っていたとは想像できなかったはずです。
そのように見ていくと、どんなに後に最悪だと思える選択肢であっても
それぞれの時点で、最善のものを選んでいることに気づきます。
それなのになぜ、あとから後悔する必要があるのでしょう?
なぜ罪悪感を抱く必要があるのでしょうか?
私は、私はその時々でベストな選択肢を選んでいたと気づいたとき
とてつもなく大きな力で救われたような感じがしました。
私はずっと自分に自信がなくて、自分の内側の正反対の顔を作り上げては、規則で自分をがんじがらめにして、それでも誰にも相談できずにいましたが
今なら、その時の自分の精神状態は異常ですぐにでも対処しないといけないと分かりますが
でも、当時は知識もなく、自分の置かれている状況も分からず
どうすることもできなかったのです。
当時置かれた状況を考えると、理解者もおらず、またいたとしても打ち明ける勇気などとても持っておらず、
たた、ひとりで耐えるしかありませんでした。
これは、あなただけではなく、周りの人も当てはまります。
周りにどれだけ理不尽な人がいようとも、理解しがたい人がいようとも
彼らも彼らで、ベストな選択肢を選んでいます。
私は当時、両親がもっと寄り添ってくれて、異変に気付いてくれたらと思いましたが
両親は初めての子育てにいっぱいいっぱいで、またそういった知識も、余裕もなく、無理だったでしょう。
ある女性は、高校生の娘さんを飛び降り自殺で亡くし、ずっと後悔をしていました。
でも、彼女は何十年と後悔し続けましたが
ある時、彼女の中の考えうる最善の答えを出したのであり、他の選択肢を選ぶことはできなかったと気づいたとき、心底救われた気分になりました。
そうして、自分は自分の人生を生きていこう、生きていいのだと初めて思えたそうです。
ある意味、私たちは既に決められた選択肢を選んでいるといってもいいでしょう。
例え、それが望ましいものであったとしても、そうでなかったとしても
その時の考え、感情、知識、経験から考えれば、取りうる選択肢はいつだってただひとつ、なのです。
これに気づいたとたん、開放がおきます。
過去を振り返り
「ああだったら…」「こうだったら…」と思いを巡らすことから完全に解放されるのです。
エネルギーをもう一度取り戻す
こうしてみて見ると、私たちは、変えられないものに対して、いかに無駄なエネルギーを使っているかに気づきます。
これを受け入れると、未来に対して過度な期待を抱いたり、ありえないような奇跡を期待したり、過度に方向付けする必要がなくなります。
同時に、過去に対し悔んだり、後悔したり、罪悪感にさいなまれたりする必要からも解放されます。
エゴが抵抗をやめ、降参するのです。
すると、あなたは覚醒にまさに必要な状態になるのです。
それは「今にいられる」状態です。
私たちの悩みは、自分に変えられないものを無理に変えようとし、
自分で変えられるものを変えようとしないところから生まれています。
私たちは神様ではありません。
全ての物事に影響を及ぼせるわけではないのです。
自然現象や社会の秩序を変えられると思うのは、あまりに自分の力を過信しており、おこがましいともいえるでしょう。
人は変えられると思いますか?
人が変えられるのは、その人も自ら変化を望んだ時だけです。
自分の内側を変える
でも、自分の心の中なら変えられます。
外側がどうあれ、自分の状態を選ぶことはできます。
そして、それが私たちが自分に対して果たす義務でもあり、責任です。
これらの思考から解放された時こそ、まさにあなたの元にスピリチュアルな体験が流れ込んでくる時です。
スピリチュアルな世界への扉を開く
あなたの回りにいるスピリチュアルな存在も、覚醒をもたらしてくれるスピリチュアルなエネルギーも、
私たちの思考が過去や未来に行っている時、あなたのもとへと入ってくることはできません。
寝ているか寝ていないかの挟間である、ぼーっとしている時に、
ビジョンを見たり、光を見たり、ひらめきの回路が開くのです。
私が最もガイド、つまり見えない存在たちのエネルギーを感じるのは、寝ている時です。
全ての思考、想念、日中の頑張りから解放された時、彼らが私の中に入ってきます。
この時、私は自分が殻の容器であり、入れ代わり立ち代わり、様々なスピリットが自分という容器にやってくるのを知ります。
彼らが入ってきた時、自らの思考やこれまでの感覚が全て停止します。
そして、これまでの自分とは違ったビジョンや、自分のものではないインスピレーションが押し寄せるのです。
多重人格者のような感覚
その時の感覚を言葉にするならば、まるで自分が多重人格者になったような感覚です。
多重人格者は、どの人格が表に出るかによって体質がまるっきり変わってしまうことが知られています。
例えば、ある人格ではオレンジジュースにアレルギーが出るけれども、
別の人格ではいくらオレンジジュースを飲んでも何ともないように。
ある子供の人格では、子供用の用量の薬で十分効果を発揮し眠ってしまいますが、
大人の人格が出現した時では、子供用の用量の薬ではびくともしません。
自分を手放すということ
私の中に別のエネルギーが入ってくる時というのは、
このように自分が別人にまるっきり入れ替わってしまったような感覚です。
直近のこうした体験で得た一番大きな気づきは、
「私たちが、自分以外の存在に自らを明け渡した時、もはや意図すらも必要ない」ということです。
私は、自分が容器として、自分以外の存在をただ表現する媒体となるとき、
意図すらも持たなくていいのだと知りました。
私たちはずっと、目的を持って生きることを教えられてきました。
「自分が何をしたいのかを決め、何者かになることが大切だ」と教えられてきました。
でも、もしそれらが全く必要ないとしたらどうでしょう?
私たちに目的が失われ、目標が奪われ、行くべき方向が奪われた時、一体何が起こるでしょうか。
全てが与えられる瞬間
全てが与えられるのです。
私たちは、あまりに目標に固執しすぎ、あまりに強すぎる想いを持ちすぎている結果、
過度に自分や未来の可能性を制限してしまいます。
それは、あなたが今の限られた知識で得られた目標や理想像ですよね。
果たして本当にそれが正しいものなのでしょうか?
時に、私たちはあまりに近視眼的になりすぎていて、
人生の大局から見た時に、もっと別の見方があったことに気づきます。
「全体」を見る視点
あまりに「自分」という目線に固執していると、「全体」が見えなくなってしまいます。
ちょうど、ネズミがツバメの視点を持てないように、です。
もうそんなに「今」が良くならないことを知った途端、全身の力が抜けます。
これまで自分が選んできたものがベストな選択肢であり、
これ以外に取りうる選択肢はなかったのだと思った瞬間、後悔することから逃れられるのです。
必死に頑張って、力を入れて、しがみ付いていた手を離すことができます。
人生においてどん底を経験した人が、驚くほどのV字回復を達成したり、
全く別の人生になったかのように成功を収めるのは、これが理由でしょう。
受け入れる力
自力ではどうにもならない状況に直面した瞬間、人は降参し、初めて受け入れることができます。
そうすれば、嫌なことは、終わります。
そうして、未来もこれから先も、すべてベストな選択肢が展開していくだけだと知った時、
私たちの中で戦っていたエゴが死にます。
私たちの人生には、自分ではどうにもならない力が働いています。
私はこれを「運命」と呼びます。
私たちの力では、重力を無くすことはできません。
私たちの力では、惑星の軌道を変えることはできません。
この現実を受け入れたときに初めて、私たちは最も強くなれるのです。
正しさよりも楽な道を選ぶ
正しさを選ぶか、それとも自分が楽になれる道を選ぶか、人生には2通りしかありません。
私は「全てを受け入れてしまった方が楽であり、それこそが最も意味のあること」だと思います。
これからも、あなたの目の前には様々な選択肢が現れるでしょう。
その際に意識していただきたいのは、「自分にとって意味のある選択肢を選ぶ」ということです。
あなたにとって挑戦することが価値があるのなら、それを選んでください。
挑戦した結果、成功するか失敗するかではありません。
いずれにしても、挑戦すること自体に価値があるのです。
今日お伝えした内容が、あなたの気づきや解放につながれば幸いです。
気づいたことなどがありましたら、ぜひコメント欄でシェアしてくださいね。
それではまたお会いしましょう。
愛と平和な世界へ
瑠璃でした。