光へ続く道~「何もできない」と感じる時こそ新たな扉が開く~

 こんにちは、瑠璃です。
今日は、何もしたくないときのスピリチュアル的な意味についてお伝えします。

あなたは、普段からやる気に満ち溢れていますか?
それとも、何もしたくない、ただぼーっとしていたいと感じますか?
実は、自分の内側の声に耳を傾け、人生のバイオリズムに乗ることが、あなたらしく生きるための大切なポイントとなります。

今日は、
・最近、やる気が起きない
・本当にこのままでよいのかと感じる
・これから進むべき方向に迷っている
そういった方への記事です。

この記事を読むことによって、気持ちが安らぎ、自分に自信を持ち、自分がこれからどこへ向かうべきかが分かるでしょう。
ぜひ最後までお読みください。

 

人間らしいバイオリズム

おそらくこのブログをお読みになっている方は、現状に疑問を抱いていたり、もっと素晴らしい自分がいるはずだと知っている方でしょう。

人間は、いつだってやる気に満ち溢れているわけではありません。
「やる気が出ない」「何もやりたくない」時もあります。
でも、そういったときに「このままじゃいけない!何かをしなくては」と自分を駆り立てて無理やり行動するのと、その意味を理解し、自分に寄り添うようにして過ごすのでは、天と地ほど違いが生まれます。

 

人生における岐路~生き方を変えるタイミング~

方向転換をするとき、必ずといっていいほど立ち止まるタイミングがやってきます。

ある女性は、自分はあれもしなきゃこれもしなきゃと、家族のことや子供のこと、仕事のことなど、常に何かに追われるように生きてきました。
しかし、本当の自分に戻っていくと「あれ?私は本当は何もしたくなかったんだ」ということに気づきましたとおっしゃっていました。

あなたが自分の人生をすべて見渡し、自分が本当は望んでいなかったことに囲まれていると気づいたとき、
「これまで自分はいったい何をしていたんだろう」「全てを放り出して自由になりたい!解放されたい!」という強い気持ちが生まれるでしょう。

何もしたくない時というのは、自分がこれまでやってきたことを見渡して、
これから先、過去の延長線上でいたくないと気づいた時かもしれません。

人生における方向転換をするとき、必ず私たちは一度スピードを緩めて、改めていくべき方向を見定めて、ハンドルを切らなければならないのです。

 

タイミング合わせの期間

「何もしたくない期間」は、後から振り返ってみれば、タイミング合わせだったことに気づくこともあるでしょう。

成功者にインタビューをすると、驚くほど同じような回答が返ってきます。
「自分は運が良かったんですよ」と。

やみくもに頑張っても結果が出ないときは、努力の方向が間違っていることもあります。
ならば、「何もしない」を選択することも、大切な選択肢です。

私は、うつ病や摂食障害、慢性的な肉体の不調で、「何もできない」時期が何年も続きました。
今になって思えば、あの時、何もしないことを認め、もっとそれを満喫していればよかったように思います。

「何もしたくない」時期に、きちんと充電し、自分を休めること。そして、「何もしない」ことを意図的に選択し、それを自分に許すことが大切なのです。

何もしないから価値がないのか

人は、何もしないことを「不毛だ」「時間の無駄」「誰の役にも立っていない」と思いがちです。
私もそうでした。

でも、本当に何もしないというのは価値がないことなのでしょうか?
それは、価値を目に見えるものに置いているからです。

目に見えないものに価値を置き始めた瞬間、全てが変わります。
ただ存在するというのが魂です。

肉体は、常に何かをしようとします。
当然、水や食料を必要とし、それらがなければ死んでしまいます。
また、子供も親の手を借りなければ生きることができません。
ですから、常に食料を手に入れたり、世話をする必要に駆られるのです。

でも魂はどうでしょう?
魂は「行動」ではなく「存在」です。
ただありのままの自分でいること、それが魂にとって最も価値があることです。

存在の大元である魂は、あなたがあなたらしくいることを望んでいます。

「そうありたいから、そうある」。
結局のところ、何をしていても、その行動に「あなたらしさ」が含まれているか。
これが最も重要な問いになるでしょう。

「何もしたくない」にあなたらしさが含まれていれば、魂としてはOKなのです。
あなたが「本当は〇〇がしたいけど、なんとか無理をして自分らしくない何もしたくないを選択しようとしている」ならば、それは自分らしいほうを選んでくださいね、ということです。

自分に嘘をついて生きることほど不毛なことはありません。
心の底の望みを自分自身で打ち消すことをしなくなった瞬間、人は魂として生きられるのです。

魂からの叫び

「何もしたくない」は、「このままじゃ違う」「そっちの方向へいったらあなたらしくいられないよ」という魂からの警告の場合もあります。

魂はあなたらしく生きる方法を知っていて、そちらの方へと導こうとあなたに働きかけます。
自分らしさを捻じ曲げて生きるのは、どれだけ大変でどれだけ労力のいることでしょうか。

自分らしさとは、肉体の男女の別や、年齢や、仕事や、役割や、時代背景にも左右されません。
三次元的なものを超越した概念です。

何をするのか、何をしているのかとも異なります。
この世界では「どんな肉体をまとい、どんな職業で、何をしているのか」が重要視されます。

でも、同じ職業に就いている人であっても、生きるために嫌々やっている人と、爛々と目を輝かせてやりたくてやっている人では、全く伝わってくるものが違いますよね。

物質的には何の不自由もない生活を送りながら、幸せではない人はいくらでもいます。
人が外から見て、その人が幸せかどうかをジャッジするのはナンセンスな話です。

幸せかどうかを決めるのは自分自身であり、それは内側で、魂と一致し、自分らしくいられているかの感覚が教えてくれるものです。

望みの変化

ある男性は整体の学校へ通っていましたが、途中で無気力感が襲ってきて、もうこれ以上学校へは通えなくなってしまったそうです。

目標としていた資格も断念し、志半ばで学校をやめざるを得なくなりましたが、その後「何もしたくない」期間を経て、カウンセラーの道を志すことになりました。

この場合、彼のガイドが裏で手引きをしていたのです。
彼のガイドは心理学のエキスパートであり、彼が自然とその道を選択するよう仕向けたのでしょう。

それから彼は休む間がないほど活躍するようになりました。

最初は、自分の肉体の不調をなんとかして改善させたいという望みをお持ちだった方が、やがて、家族の不調和を改善したいとおっしゃるようになり、やがて自分の好きなことをして生きていきたいといった風に、望みが変化していく場合が見受けられます。

ひとつの望みが叶ったならば、また次の望みという風に、望みが移っていくのです。
最終的に、どんな望みから出発しても、最終的にひとつの場所へと集約します。それは、真の自己です。

仕事で大成功をした社長が、もはやビジネスには情熱を感じられなくなり、やがてボランティア活動に精を出し、近所のゴミをほうきで掃除しているのが一番楽しいと言っていた話があります。

家族のために会社を興し、お客様や社員のために会社を大きくし、必死に頑張ってきたのでしょうが、最終的には、自分の情熱を満たしてくれるものを他のところに見つけたりするのですよね。

それは、周りの人から驚かれることや、淡々とゴミ拾いをしていたり、掃除をしていたり、人の笑顔を見ている瞬間かもしれません。
これも自然な変化といえるでしょう。

肉体からの叫び

「何もしたくない」は、肉体からのサインの場合もあります。
この場合、「何もしたくない」よりも「何もできない」のです。
さらにいえば、「本来何もできないくらい肉体が痛んでいるのに、無理をして何かをしようとしている」のかもしれません。

肉体側の不調は、気合ややる気でどうにかなるわけではありません。
「何もしない」ことが必要だと認め、自分を休ませる期間を設けることが必要です。

人生では、誰かに手伝ってもらうのが必要な場面もあります。
自分の無力を認めなければいけない場面もあります。

でも、知っておいていただきたいのは、肉体の不調はあくまで肉体が痛んでいるのであって、
あなた自身が悪いわけでも、また魂が痛んでいるわけでもないということです。

肉体は、私たちの一部分であり、その一部分を大切にすることも私たちの仕事です。
でも、一部分が痛んだからといって、自分の全てが痛んでいると思うのは間違いです。

もし「何もしたくない」が肉体から来ている場合、その肉体の欲求を尊重し、「何もしない」のが正解です。
肉体は、無理をしながら動かし続けると、やがて機械のように壊れてしまいます。

壊れてしまってからでは遅いのです。
ですから、早い段階で肉体を休め、その中で、もし肉体が痛んでいる原因が他にあるとしたら、それを探るのがいいでしょう。

それは、心から来ているのかもしれないし、魂から来ているかもしれません。
私たちの心と体と魂は常に繋がっていて、その影響を受けながら生活しています。

ですから、肉体レベルの痛みが、肉体以外のところから来ている場合もあるのです。

「何もしたくない」の多様な意味

このように、「何もしたくない」の意味は多岐にわたります。
ですから、一概に決めつけたり、断定することはできません。

でも、きっとあなたも過去を振り返ってみれば、全ての経験は途中経過であったことに気づくでしょう。

今がどうあれ、それに落胆する必要はありません。
やがてそれらが光に変わる瞬間が来ます。
でも、光が来るまでは、それに気が付かないだけなのです。

ぜひ今日の記事を参考に、「何もしたくない」時期を上手に過ごしてくださいね。

「何もしたくない」を受け入れる

ということで、今日は「何もしたくないのスピリチュアル的な意味」についてお伝えしました。

私はある時、自分はいつも一定でいようとしていることに気が付きました。

いつも同じ自分でいて、昨日と寸分変わらない自分でいなければならない、と。
でも、それはありえないことだと気が付いたのです。
もし一定でいようとしたら、それは機械と同じです。

でも私は、何もしたくない時の中に、果実が眠っていると気づいたのです。
何もしたくない時は、何もしない。
もっと何もしたくない時間を、心から楽しみ、そんな時もあるよね、と受け入れてあげることができたら、ずっと今よりも楽に生きられますよね。

私は、ふらっと外に出てぶらぶらするのですが、そんな時に、ふと新しいエネルギーがやってきたり、気づきがやってきたり、このブログで次に書きたいなと思っていることがやってきます。

あなたも、もしかしたら何もしたくなくて、このブログにたどり着いてくださったかもしれません。
でもその中で自分にとって役立つことが知れたり、あなたの中で何かが変わったら、「何もしたくない」は無駄ではなかったことになりますね。

 

今日の記事で気づいたことなどがあれば、ぜひコメント欄を利用してください。

それではまたお会いしましょう。
真実の向こう側、愛と平和な世界へ。
瑠璃でした。