サイキック能力を目覚めさせる鍵:自分の本質とつながる方法

こんにちは、瑠璃です。今日は、サイキック能力が目覚める条件についてお伝えします。

あなたは、目に見えない世界を信じますか?もし信じているならば、目に見える世界を超えた、もっと広い世界を体験できたらいいと思いませんか?

あなたがそう望めば、何事も実現できるでしょう。五感を超えた世界を体験するためにまず必要なのは「経験すること」です。

人は、五感を超えた世界を経験する能力をサイキック能力といいます。実は、サイキック能力が目覚めるには、ある条件があるのです。

今日は、オーラ視やチャネリング、リーディングなどすべてに共通するサイキック能力が目覚める方法について解説します。

スピリチュアルな世界に憧れている、自分もスピリチュアルな経験がしたい、目には見えないものを見てみたい、サイキック能力を人のために生かしたい。そういった方のための内容になっています。

他にも、本当の自分で生きたいという方にも役立つ情報となるでしょう。ぜひ最後までお読みください。

目に見えない世界への憧れ

あなたは、スピリチュアルな図書の中でオーラについて書かれた本を見て、自分も見てみたい!と思ったことはありませんか?

また、透視能力によって相手のことをかたっぱしから当てる人を見て、自分もそんなふうに分かるようになったらいいのに!と思ったことがあるかもしれません。

実は、これ、誰にでも可能です。そのためには、ある条件が必要なのですが、今日はその最も根源的で、最も重要なことについてお伝えします。

最も見やすい状態

あなたは、自分が無理をしているなと感じる瞬間はありませんか?

ミスをしないように懸命に努力したり、目の前の人に嫌われないように必死で顔色を読んだり、本当は引っ込み思案なのに、人前で一生懸命振舞ったり。

こういったとき、肉体的にはこわばって、肩や背中が重く感じられたり、緊張しているように感じられるでしょう。

私はこれを、本当の自分とは区別して「偽りの自分」と呼んでいます。

ある女性は、父親から厳しくしつけられていたせいで「絶対に泣き言をいってはいけない」と思って育ちました。どんなにつらい時でも、辛さを見せず、必死に歯を食いしばって生きてきたそうです。

彼女は結婚3年目に病気で夫を亡くし、人生において最も深い悲しみを経験しました。夫はそれを見越したように「僕がいなくなっても、君の人生は続いていくんだから、誰か頼れる人を見つけて」と言い残して亡くなったそうです。

でも、彼女は「絶対に泣き言をいってはいけない」と自分に言い聞かせ、親戚や両親の前でも決して涙を見せることはなかったそうです。そして、残りの人生を一人で生きていこうとしていました。

彼女は強さによって悲しみを乗り越えたかのように見えましたが、ある日、体調に異変を感じました。ガンが発覚したのです。彼の死から2年後のことでした。

彼女は、初めて自分が本当の気持ちを隠して、人前で気丈に振舞い無理をしていたこと、その無理が肉体に現れたことを知りました。

本質から離れるとき

彼女の場合、強く凛としていて自立した自分こそが偽りの自分であり、それが彼女の内側の悲しみや弱さを覆い隠していました。

もし彼女が本質をさらけ出し、思い切り涙を流し、心の底から悲しみを表現し、人を頼ることができたら、彼女の運命は違ったかもしれません。

私たちの中に「~でなければならない」という強固な信念や思い込み、「~するべき」といった観念があると、時に本質から離れてしまうことがあります。

例えば、「私はいつでも冷静でいなければならない」「私は自分の主張を伝えてはならない」「私は決して負けてはいけない」など。

人間関係や社会の中で生活をしていると、周りからの圧力や影響もあり、まるで思考の網で自分をがんじがらめにするように、自分を押さえつけてしまうことがあるでしょう。

私の場合は「私はいつでも完璧で有能で、なんでも卒なくこなさなければならない」と思っていました。でも、今から考えれば、完璧な人なんていないし、そんなの無理な話ですよね。

こういった思い込みが私たちを本質から遠ざけ、サイキック能力の発現にも影響を与えるのです。

サイキック能力が発現する条件

自分や他人を観察していて分かったことがあります。サイキック能力が発現するには条件がある、ということです。

では、それはどんな条件でしょうか?ひとことでいうならばリラックスしている時です。言葉を変えて言うならば「自分の本質でいる時」です。

私たちが自分の本質から離れてしまうとき、つまり外から見られる自分の姿に気を取られて「自分ではない何者かになろう」としているとき、無意識に身体はこわばり、がちがちに緊張し、心も締め付けられ、恐れや不安に囚われます。

なぜならば「自分ではない何者かにならなければいけない」というのは、私たちの内側の恐れから生まれるからです。心の底で、ありのままの自分を否定し、素の自分を否定し、恐れから何者かとして振舞おうとする。このような状態では、サイキック能力はまず発揮されないでしょう。

リラックスして本質でいるとき

ある女性の方が「見よう見ようと思って相手を見ると、緊張して何も見えませんでした。でも、力を抜いて、初心者なんだから見えなくて当たり前だよね、と思ってから見たら、相手の方の回りにきれいな虹色のオーラが見えました」と感動していらっしゃいました。

そうなのです。私たちが「こうあらねば」「こういった結果を出さねば」「人からこう思われなければ」と思っていると、その信念が私たちの前に立ちはだかり、目の前を曇らせます。

そうして、見る力も、聞く力も、感じる力も、奪っていってしまうのです。

本質でいるとは?

あなたが本質でいる時とは、そういった自分に突き付けている「こうあらねば」から完全に自由になったときです。

子供の頃を思い出してみてください。好奇心が赴くままに自分の世界に没頭し、周りのことが見えなくなっているきらきらとした瞬間。あの瞬間、あなたは純粋無垢な、あなたの本質のままだったのではないでしょうか。

それが人からどう評価されるか、とか、それに何の価値があるのか、とか、その結果、どうなるのか、とか、そういった思いは一切頭の中によぎることはありませんでした。

そうしてリラックスして、あなたの本質でいられたのではないでしょうか。この本質でいる瞬間、この瞬間こそ、あなたが普通の人が見えないものを見て、普通の人が感じられないものを感じられる瞬間なのです。

本質から離れる理由

なぜ私たちの大半が通常の意識状態では、本来そこにあるスピリチュアルな世界が見えないのでしょう。それは、それだけ多くの人が本質から離れ、自分ではないもので生きているからかもしれません。

ぼーっとして、見てみる。私は非常に能力の優れたリーディングの才能を持つ方に会ったことがあります。その方はとても自然体で、たとえて言うならば、炭酸が抜けたコーラといいますか、マイペースで、ぼーっとしているせいか、スマホや財布を落とすそうです。

普通の人から見れば「え?!もっとちゃんとしなよ」と思ってしまうかもしれませんが、そんな自分も責めないで、自分のキャラクターとして認識しているのです。

ほほえましいくらいに力が抜けていて、世間の常識などもろともせず、自分らしく生きていて、「こうあらねば」という固さが全く見られないのです。

人ってこんなに自然体で生きられるんだと感動したのを覚えています。それは言うまでもなく、過去の私とは真逆の生き方で、それまでの私は「何者かにならなければならない」といつも自分に厳しい言葉を突き付け、自然体をさらけ出す勇気も行動力もありませんでした。

これくらい力が抜けていて、どんな自分も受け入れているからこそ、これほど素晴らしいリーディング能力があるんだろうなとしみじみ感じました。

テクニックだけでは難しい理由

スピリチュアルの才能を伸ばすために、よくテクニック部分だけ開発しようとする方がいますが、たいていうまくいきません。

例えば、オーラを見るテクニック、チャネリングのテクニック、リーディングのテクニック。それらは全て重要なものですが、どれほど素晴らしいテクニックを学んだところで、それを自らの恐れを覆い隠すために学んだり、自分の本質が何かを知らぬまま、それと程遠い自分の状態で身に付けたところで、上手くいかないでしょう。

しかし、自分が何者だったのかに目を向けて、自分の本当の姿を見ることができれば、その瞬間、そういった力は自然に発現していくのです。

本質とスピリチュアル能力の関係

人はたいてい、大きな人生を変えるような出来事に出会わなければ、自分の生き方を見直したり、自分の人生を振り返ったりすることはまずありません。

挫折を経験し、困難を経験したからこそ、変わろう、変わりたいと決意します。

そういった自己の内における深い決断がなければ、改めて自分の本質について考えることも、本当の自分に出会うこともないでしょう。

こういった能力は、自己の本質で生きられるようになった「結果」であり、自分の本質を紐解くこととサイキック能力を開発することは、いつでもセットなのです。

取り繕うのをやめる

よく、カウンセリングを受けられる方の中には、「私は今回初めて、自分の本当の気持ちに蓋をしているだけだったということに気づけました。これらの気持ちは無くなったわけではなく、まだずっとここにあったのですね」とおっしゃる方がいます。

無理に自分を取り繕って、明るく見せても、幸せそうに見せても、ごまかせません。自分の心と人の目は欺けるかもしれませんが、目に見えない世界の波動はごまかせないのです。

反対に、「私は幸せです。私はうまくいっています。私には問題がありません」という人は、たいてい先ほどの偽りの自分の固く縮こまったエネルギーで囲まれています。

エネルギーを解放する

あるセッションで、ある奥様が旦那様のことについて相談されました。私が見ると彼は、胸のあたりに自分を守るための鎧のようなエネルギーをまとっており、胸郭が広がっている状態で固まっているような感じでした。

奥様にそのことを聞くと、「はい、そうなんです、主人は胸周りが大きいんです」とおっしゃっていました。ご本人も本当の自分を出せず辛かったでしょう。ご主人にヒーリングをさせていただいたら、後日、ご主人の雰囲気ががらりと変わられて驚かれたと報告をいただきました。

そう、サイキック能力が目覚めるためには、あなたの波動が本来のナチュラルで自然な状態に戻っていることが最も重要です。

本質を見つめ直す

ですから、もしあなたがこれまでたくさんサイキック能力を身に付けるために努力をしてきたけれど、結果がでないということであれば、あなた自身が本質でいられているかをもう一度確認してみてください。

本質を見たくない気持ちの根底には、自己否定感がありますか?無価値観がありますか?それに向き合うことこそ、覚醒の最も重要なパートです。

そして、あなたが出会ったあなたの本質は、必ずしもあなたが望む姿ではないかもしれません。

ズボラで、だらしないあなたが待っているかもしれません。好奇心旺盛で、後先考えずいろいろなものに手を出しては、他の人からは一貫性がないといわれるあなたかもしれませんし、特段人と比べて優れたところも、取り立てて取柄もない自分かもしれません。

でも、それでいいのです。

自然体で生きる

それを認識したうえで生きることと、偽りの自分こそが自分だと思って生きていることとは、天と地ほどの違いがあります。

そうしてその本質部分を、一人の時だけでもいいので、出してみましょう。やがてあなたは本質で生きられるようになり、あなたが本当の自分でいると、もっと楽に生きられるようになります。

さらに、あなただけではなく、周りももっと自由になります。

あなたが周りに気を使って自分をよく見せようとしていたとしても、あなたがありのままの自分で正直に行動していたとしても、結局のところ、周りの人はそれほど気にしていないことに気づくでしょう。

彼らもまた、彼らの世界の中で生きているのです。

サイキック能力を思い出す

ということで、今日はサイキック能力が目覚める条件についてお話しました。

サイキック能力は決して特殊なものではなく、チャンスと出会いと努力さえあれば、誰にでも身に付けることができます。というか、思い出すことができるのです。

私は、スピリチュアルについて何も分からないときに、透視能力を持っている人の本を読み、そんなことまで分かるの?!と心底驚いたものです。

その人は人の身体をまるで透けているかのように見えていて、リーディングの結果は医学的な所見と寸分違わず、その記述を見たときに「もはや医者に行く必要もなくCTもMRIもいらないじゃないか」と思ったのを覚えています。

単純作業が苦手で、たびたびミスをしては関係者の方々にご迷惑をおかけしている私、ですが、言い訳のように聞こえるかもしれませんが、ある時ふと開き直れたんですよね。

私は完璧なんかではないし、自分には苦手な分野があるし、それが自分の能力の限界であると。そう思えたら、なんだか肩の力がずっと抜けて、だったら自分の得意な分野で力を発揮していけばいいやと思えるようになりました。

単純作業が得意な人、複雑な作業が得意な人、創造的なことが得意な人、場の雰囲気を作るのが得意な人、様々です。

そんな風に自然体でいられる場所があれば、もっと自由でいられますよね。私もそんな場所を作っていきたいと思っています。

ということで今日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。それではまたお会いしましょう。

愛と平和な世界へ。瑠璃でした。