AI時代に問う、人間だけの特権:眠れる受信機(あなた)を目覚めさせる方法

こんにちは、瑠璃です。
今日は人間の真の役割と人生の意味というテーマでお話します。
あなたは、自分がこの人生でどのように生きるべきなのか、何を目指すべきなのか、疑問に思ったことはありませんか。
目覚めの過程で、自分というものの認識が移り変わる劇的な経験をされた方もいらっしゃるでしょう。
そうしてこれまでの目的地が目的地でなかったことに気づき、これから先、どこを目指したらよいのか分からなくなったことがあるかもしれません。
今日は私が魂が宇宙へ解放されるという経験をもとに知った、人間の真の可能性と人間の本来の役割についてお話します。
このブログを読むことで、これまで語られなかった人間というものの本質が明らかになっていくでしょう。
ぜひ最後までご覧ください。
私たちは、どこから来て、どこを目指すのか。
そして本来の役割とは何なのか。
何のために生きるのか。
それを教えてくれたのは、私に起こったあるひとつの経験でした。
魂とのコンタクトが始まる
私は、ひょんなきっかけからスピリチュアルな世界について興味を持ち始め、ほどなくしてスピリチュアルな世界へのめり込んでいきました。
そうして自分と向き合い、自分を知る中で、私の肉体の内側で、ある目覚めが始まっていきました。
魂が思い出し始め、魂とのコンタクトが始まったのです。
私の中にある魂は、男性的で戦士のような戦いの中を生き抜いてきた魂でした。
彼は、肉体の中に閉じ込められ、身動きが取れなくなっていることに心底憤りを感じているようでした。
彼の気持ちを代弁するならこうです。
「どうしてこんなところにいなければならないんだ、早くここから出て自由になりたい!」
それまでの私は、そこに魂があったこと、そして魂がこんな思いを抱えて生きていることに全く気付いていませんでした。
そうして、それを知って私はなんて馬鹿な生き方をしてきたのだろうと愕然としました。
ここに私以上にはるかに多くを知っている叡智の塊があるのに、私はそれにすら気づいていなかったと呆然としたのです。
これが大きな転機でした。
それから数日後、私は急激な変化を感じていました。
私の肉体はもともとひどく敏感で、普段の食べ物や電磁波などに大きく影響され体調を崩してしまうほどでした。
ですから自分の感覚にはかなり敏感なほうだと言えると思います。
そのため、その時の変化については明確に感じ取ることができました。
その時、私の肉体の振動数が一気に低下し、まるで自分が石になっていくかのようでした。
自分がとてつもなく重くて、鉛のように感じられたのです。
明らかな異変を感じましたが、何が起きたのかは分かりませんでした。
でも、何かが起こっていることだけは確かでした。
そうして数時間後、完全に私の体は振動数を落としました。
それは完全に肉体から魂が抜け出た瞬間でした。
彼の魂は、肉体という牢獄から自由になり、本来の場所へと解放されていったのです。
私はただその場に呆然と立ち尽くしました。
全く違う感覚に、右往左往しながら、今まさに起こったことに対して驚きを隠せず、必死に自分の中で整理をしようと思っていました。
でも、魂はその願いを果たした、きっとこれでよかったのだという感覚が私の中にはありました。
実のところそれまで、私は自分の意識と、魂つまりハイヤーセルフの意識とは同じだと思っていました。
ですから魂が抜け出た時は死ぬときだと思っていたのです。
ですが、違いました。
実際のところ、魂が抜け出ても、私という意識はなくならず、記憶を失うこともなく、自己認識を持ったままそこに存在しました。
そうして私はただの肉体としてこの場に残ったのです。
ですが、魂のない肉体は、ただの固まった石のようなものであり、羅針盤を失った船のようなもので、どこへ向かっているか、何のために海に漂っているかも分からなくなってしまっていました。
何の目的もなく、ただそこにいるだけ…羅針盤を失った今、生きている意味も完全に見失ってしまっていました。
ですが、その後、全く予想していなかった出来事が起こります。
覚醒をサポートしてくれていたガイドのうちのひとりが空になった私という容器の中に入ってきたのです。
これには大きな衝撃を伴いました。
彼女は非常にパワフルで、光のような女性的な魂だったので、これまでの感覚とは桁違いの感覚だったのです。
まるで自分の中を閃光が駆け抜けたような、そんな感覚でした。
この続きの話は長くなってしまうので別のブログに譲るとして、次に行きます。
つまりこうです。
私たちの意識は、魂の意識とは別なのです。
そうして、この体験から、人間がいかにして生きるべきか、人間の真の目的とは何か、それが明らかになっていきました。
人間という自動機械
私たちは、人間というものをひどく過大評価していたように思います。
肉体を備え付けた人工知能のような頭脳が、いかのほどのものを創造できるのか。
私たちは一種のプログラミングされた機械です。
機械は、プログラムされたとおりにしか動きません。
ただ、機械と違って一部例外があります。
この機械は、自分自身で自分をプログラミングすることもできるのです。
でもこれもAIが誕生した今、人間だけの特権ではなくなりました。
ただし、それは、あくまで限られた範囲で、です。
過去の繰り返しにほんの少し色を付けたくらいで、抜本的な変化には程遠く、あくまで既存のものの改良程度に過ぎません。
実際にAIが感情を持ち、感覚を持ったら我々と変わらなくなるかもしれません。
私たちの肉体側の意識は、動物より進化しているものの、基本的に同じです。
動物は独自のプログラミングを持っています。
私たちが、本能と呼ぶものです。
確かに、彼らは世代間における連鎖の中でより効果的に餌を得る方法、繁殖する方法、子供を育てる方法などを見つけ出すかもしれません。
でも、カエルが人間のように学校を作ったり、芸術を奏でたり、数式を使いこなす日は永遠に来ないでしょう。
そういった意味で、種そのものだけの進化には限界があるのです。
肉体は昨日と同じように、食物を摂り、睡眠を取り、臓器や器官は絶えず動き続けます。
そうして我々も昨日と同じように感じ、同じように考え、同じように行動し続けます。
すぐに自分にとっての限界を作り上げ、人の真似をしようと躍起になったり、自分以外のものになろうとしたり、無意識に過去のパターンを繰り返したりします。
人間機械の限界はそれだけではありません。
自分の頭で考えたところで、有意義なものは何ら生み出すことはできないのです。
私は魂を失って、初めて分かりました。
自分は魂にとっての付属物に過ぎなかったと悟ったのです。
それは、羅針盤を失った船であり、ハンドルを失った車であり、発明家を失った実験室の実験器具のようなものでした。
魂を失った状態では、新しいビジョンや新しいひらめきは何ら生まれませんでした。
では、人間における飛躍的な進化や進歩はどこから来たのか?
人間を超えた魂の記憶を思い出したに過ぎません。
真に偉大な知恵や発見は、私たちの中からは生まれません。
私たちが、新しいアイディアや、パラダイム転換をもたらすような発明、人間愛を超えた深い道徳感や愛について語るとき、それは私たち以外の存在から来ているのです。
どこから来るのか?
私たちを超えた存在、魂、ハイヤーセルフ、また霊やガイドと呼ばれる存在、私たちを超えた存在です。
彼らは自由であり、私たちよりもはるかに深い叡智を兼ね備えた存在です。
そういった存在たちの中には既に地球マトリックスから抜け出た存在、地球外から来た存在もいます。
彼らの意識レベルは、肉体側の意識レベルとは桁違いです。
肉体側の意識レベルが二階建ての住居だとしたら、彼らの意識レベルは、天高くそびえる高層ビルのようなものです。
ところが肉体側の意識である私たちは、自分が何者であるかのように思い込み、自分自身で何か有意義なことができるように思い込みます。
ですが、私たちはこれまで何一つ有意義なことはしてこなかったし、これから先もすることはないでしょう。
これから言う、ただひとつのことを除いて。
人間の本来の役割は受信機である
では、肉体側の意識である私たちは何を目標に、どう生きたらいいのでしょうか。
私は、人間の本来の役割とは、受信機であると言いたいと思います。
テレビは、電波を受信して映像を映し出します。
スマートフォンは、電波を受信して、データをダウンロードします。
もし電波がなければただの四角い黒い物体であり、何の役にも立ちません。
データがあって初めて、本来の役割を果たすことができます。
もし電波が無い状態で、テレビがあれこれ考え、試行錯誤したところで、四角い真っ暗な画面のままでしょう。
私たちもこれと同じです。
電源を入れても、電波がなければ、情報を更新することもできないし、情報を得ることもできません。
したがって何も知りえることはないのです。
別の例を出しましょう。
私たち自身は、透明なスクリーンであり、それは透明であればあるほど価値を持ちます。
殆どの人は、このスクリーンが、折れ曲がったり、汚れたり、歪んでいるので、正しく映像を映し出すことができないのです。
そして、ここでいう情報や映像とは、魂から受け取る叡智や情報、インスピレーションです。
私たちはそれらの受信機なのです。
エゴを手放す、の真の意味
エゴとは肉体側の私たちが持つこだわりや執着を指すのだとしたら、ここまでの話がしっくりくるのではないでしょうか。
エゴはスピリチュアルな目覚めの妨げになるため、エゴを手放しましょうといわれますよね。
その理由は、私たち肉体側の意識が、狭い世界で勝手なルールや思い込みに囚われれば囚われるほど、魂としての働きを制限してしまうからです。
私たちの中に、余計な情報が上書きされ、本来いらない回路が作り上げられてしまえば、純粋な受信機となることはできません。
ノイズによって、受信信号はかき消され、打ち消され、うやむやになってしまいます。
人間関係でも、思い込みの強い人、「これは絶対こうだから」と特定の考えに固執している人を説得するのには、非常に骨が折れますよね。
それと同じです。
エゴや私たちの思い込みは私たちの目の前を曇らせ、純粋な受信機となることを妨げてしまうのです。
先ほどのスクリーンの例では、スクリーンが歪んだり、汚れたりしていれば、映画館で見るような映画の映像も、歪んだり、色が変わって見えてしまいます。
歪んだスクリーンでは、曲解され、色を付けられた、歪んだ情報しか見ることはできません。
スピリチュアルとは、自分を超えたものと繋がる試みです。
にもかかわらず、私たちの勝手な正解や、勝手な枠組みが、受信した信号をゆがめてしまうのです。
自分を充電し、役割を果たす
私たちも、働きすぎたり、頑張りすぎたりしたら疲れます。
スマートフォンも、長時間続けて使っていればやがて電池が無くなります。
私たちもこれと同じです。
私たちは自分にとって必要なエネルギーを宇宙エネルギーとして受け取っています。
毎秒ごと一瞬も休むことなく宇宙エネルギーフィールドから、エネルギーを受け取りそれを生命エネルギーとして自らの内で代謝しているのです。
他にも肉体は水や食料を絶えず必要とします。
肉体だけではありません。
人格は、喜びや楽しみ、自分への愛情や他人からの承認を絶えず必要とします。
でも、魂は肉体ではありませんし、物質ではありません。
私たちのように寝る必要も、休む必要もありません。
水も食べ物も必要としません。
もしスピリチュアル的な正しい生き方を説くとするならば、私たちを超えた、魂の世界、霊の世界を理解し、霊の世界のルールで生きることだと私は思います。
そのうえで、肉体側の意識である私たちができる唯一価値のある生き方は、魂の世界のルールを受け入れ、彼らの純粋な受信機になることでしょう。
ここで一番大切なことを言います。
受信機そのものに価値はありません。
受信する内容に価値があるのです。
もう一度いいます。
私たちが主役なのではありません、魂が主役、なのです。
人間は、高次の存在達のために道を開け脇役に徹することしかできません。
でも、それこそが私たちができる最善で最高に価値のあることです。
私たちがそれを完全に理解すれば自分を超えた、全てを受け取るでしょう。
そのために私たちが唯一するべきなのは、自分自身の欲求を手放し、エゴを捨てることです。
これを意図的にする方法はあるのか?
ということですが、はい、あります。
人間機械の限界を悟ることです。
本当の意味で、肉体と肉体に紐づいている意識の役割の限界を悟ることができたとき、私たちは、神の純粋なスクリーンになることができるでしょう。
誰でも、本来、神と繋がる偉大な力を秘めているのです。
これ以上に大きな役割があるでしょうか。
まだ、多くの魂たちはまだ目覚めていません。
彼らが目覚め始めれば、さらに多くのギフトを人間は受け取ることができるでしょう。
人間の役割とは、自らの上に飛び交う電波を受け取り、それを自分という媒体を通じて体現すること。
そうすれば、カエルが白鳥のビジョンを語ることも、うさぎがソクラテスの哲学について語ることもできるのです。
過去の発明とチャネリング
過去に偉大な発明をもたらしたアインシュタインやニコラ・テスラは、全く違うことをしている際に新しいアイディアを思いつくと語っています。
いわゆるフローの状態にあるとき、つまり頭脳の働きが止まり、ただその場に存在しているとき、私たちがチャネリングと呼ぶ受信状態に最も近い状態にあります。
きっと彼らも自分を超えた偉大な存在から、叡智を受け取っていたのかもしれません。
最後に、スピリチュアルな旅を歩まれているあなたに伝えたいことがあります
外から与えられるのを待たないでください。
環境が整うのを待たないでください。
後から振り返れば、全てがあなたにとって必要なものだったと気づくでしょう。
全てが与えられていたことに気づくのです。
今この段階では、とても完璧には思えません。
でも、現にあなたがこのブログにたどり着いていてくださったということは、その中のピースのひとつを手に入れたようなものなのです。
必要なものは、必ず揃います。
ですからそれを信じて、歩みをとめないで、一歩踏み出してください。
ということで、今日は人間の真の役割についてお話しました。
目覚めのタイミングはひとそれぞれです。
でも、年齢は関係ありません。
私はこれまでに20代から80代の方に指導させていただきましたが、遅すぎることは一切ありませんでした。
先日40代の男性の方から、興味深いご報告をいただきました。
彼は1年以上自分と向き合い、様々な傷を癒してきましたが、唯一残っているのは女性との関係を築くことでした。
何年も恋人ができないというのです。
そんなとき、彼が瞑想をしていたところ、魂の記憶にアクセスできたというのです。
すると、昔気の強い女性に騙され心に大きな傷を負ったシーンが出てきました。
明らかに自分の見てきた風景や記憶とは場所も年代も異なるとのことでした。
実は、彼は今世においても、若い頃に辛い別れを経験しており、それからというものの女性と関係を築くことができませんでした。
そうして、過去生の女性に裏切られた傷を癒したところ、ひょんなことから新しい恋人ができた、というのです。
彼の魂の癒しが完了すれば、魂からの新しい叡智やポジティブな側面をさらに受け取ることができるでしょう。何事もまず、癒すことからです。
話は変わりますが、人間社会で生きていると、人間社会のルールにどっぷりつかってしまうので、気分転換をすることって大事だなと思います。
あとは、頭の中を真っ白にすること。
つい、放っておくと私たちはどうでもいいことや大して重要ではないことに頭を悩ませたりしてしまうので、これも人間機械の困ったところです。
私はよく信じられないうっかりミスや単純ミスをしてしまい、自分で驚くことがあります。こんな人間機械ですが、これからも頑張っていきたいと思います、、、
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
真実の向こう側、愛と平和な世界へ
瑠璃でした