この肉体は仮の姿─魂の視点で本当の私を生きるとは

こんにちは、瑠璃です
今日は、魂の嘘と真実というテーマでお話します

あなたは、魂について何を信じますか?
・世の中には魂レベルが高い人がいる
・魂年齢が高い人や低い人が存在する
・魂が美しい人とそうでない人には違いがある

果たしてこれらの捉え方は、どこまで正しいのでしょうか?
多くの人が勘違いしがちな魂の性質について、今日はお話します。

魂について、自己の本質について、もっと詳しく理解できるようになるでしょう。
ぜひ最後までご覧ください。

 

 

 

 

魂とは何か?魂の性質とは?

魂とは、あなたの中にある、あなた以上の存在です。
今このブログを読んでいるあなた、そのあなたの意識は、魂の意識とは異なります。

今このブログを読み、言葉を見て、解釈している意識は、肉体側の意識です。
つまり私たちが普段使っている意識は、肉体という入れ物、ボディースーツ側の意識であるということです。

そしてこの入れ物の中に、肉体とは全く別の性質のものが入っています。
それが、魂です。

魂は純粋なエネルギーであり、物質として目に見えるものではありません。
肉体ではありませんから、私たちのように遠くへ行くのに歩いたり、車を必要とすることもありません。
一瞬にして時間と空間の中を移動することができます。

魂は、創造の源であり、死ぬこともありません。
肉体が滅びても、永遠に存在し続けます。

有限の命を持つ肉体と、永遠の命を持つ魂。
この相反する2つが、私たちの中で共存しているのです。

では、私たちが今このようにして人間として経験していることは、
どのように魂へと影響しているのでしょうか?

そもそも魂は、肉体を持つことに何の意味があるのでしょうか?
なぜ私たちは、全く異質の肉体と魂という両極端のものを持ち合わせているのでしょうか?

魂は、あなたの肉体の目を通じて世界を見て、
あなたの肉体を通じて世界を感じ、
あなたという乗り物を使って、地球上で様々な経験をしています。

魂それ自身で、肉体的な快楽を味わうことはできません。
例えば、食べること。
魂に胃袋はないし、味覚受容体もありません。
肉体があるからこそ、私たちは食べ物を食べて「美味しい」「満腹感」を感じることができます。

魂は睡眠を必要としません。
良く寝たあとの「あ~すっきりした~」という感じ、ありますよね。
魂それ自体では、私たちが普段感じている肉体感覚を感じることはできません。

性的な側面についても同様です。
魂に肉体的な男女の別は存在しません。
私たちのいう「愛」とは、男女間の愛であり、
時間がくれば「憎しみ」にも変わったり、「無関心」にも変わったりする一時的な感情の一種です。

こういった愛は永遠ではなく、一瞬で過ぎ去ります。
これは、愛というよりも、肉体側の子孫を残すための一時的な反応、プログラムといった方が適切でしょう。

気づいていないだけで、
私たちの生活の中には、肉体を持っていることによって得られる感覚や感情が、実に多く存在します。

もし私たちに肉体がなかったら、
一切の食べるという経験もなく、温度や湿度を感じる経験もなく、
肉体的なバイタリティーを感じることもありません。

どれだけ私たちの得られる満足度や快感が、制限されるでしょう。
これは、肉体がなければ決して得られない経験です。

ところが、見方を変えれば、肉体は「重荷」にもなります。

あなたは、自分が食べ物を得る必要もなく、住む場所を確保する必要もなく、
服も、生活用品も、それらを買うお金も必要としなかったら、
どのように生き方が変わるか想像したことはありますか?

あなたの時間の使い方や過ごし方は、どのように変わるでしょう?

私たちの起きている80%以上の時間は、仕事や家事に費やされます。
私たちが仕事をするのは、主に肉体を維持するためです。

肉体にとっては、生存欲求を満たすことが第一です。
当然、食べるものがなければ、肉体は朽ちてしまいます。

掃除や洗濯も、肉体が生活する物理的な環境を整えるために行われます。
女性は鏡を見たり、お化粧をしたり、美しく着飾ったりすることに、相当の時間と労力を使いますよね。

でも、肉体がなければ、これらのことは全部不要です。
そうなれば、どれほど精神的に発展することができるでしょう。
どのような文明を築くことができるでしょうか。

死後の世界は、肉体の呪縛から解放された世界です。
そこでは、私たちが生前積み重ねた思考やイメージが現実をつくります。

もし肉体から解放されたら、
どれほど豊かな内側の世界に目を向け、余裕を持ち、そこに時間を使うことができるでしょう。

このように魂にとってみれば、
肉体はアミューズメントパークのような非日常の感覚を楽しむものにもなり得るし、
反対に、魂は肉体の奴隷にもなり得るということです。

 

 

魂には個性がある

そもそも、みんなに画一的な魂があるわけではありません。

個性化された魂を持つ人と、そうでない人がいます。
ですから、誰にでもスピリチュアルな目覚めが起きるわけではありません。

覚醒が始まると何が起こるのか?ですが、
魂のエネルギーが拡大し、魂がもともと地球に来た頃の意識のレベルに戻り始めます。
それは、個々の魂が持っている当初のエネルギー状態に戻る、ということです。

肉体の中に封じ込められたことによって、魂は元々の記憶や意識レベルを失っています。
肉体という牢獄に囚われ、身動きができなくなっているのです。

そうして、完全に元々の意識レベルに達した後は、この意識レベルは基本動くことはありません。
動くとしても、かなり稀なケースです。

つまり、あらかじめそれぞれの魂の意識レベルの最大値は決まっていて、そこに到達したら、それ以上は上に行くことはないということです。

例えばゲームでも、このキャラクターのパワーや特定の数値はマックスでここまで、というのが定められているのですよね。
それと同じです。

どんなにトレーニングしても、あらかじめそのキャラクターに定められた基準以上には数値が上がりません。
それは、つまりそのキャラクターの個性でもありますよね。
魂もそのような個性を持っているのです。

これまでこの地球上では、この目覚めの階段を上り始めることは非常に難易度が高く、
たぐいまれない幸運に恵まれた人しか、この階段を上り始めることはありませんでした。

でも、今、私の周りではこの階段を上り始める人が増えています。
何年も、時には何十年もかけて、この階段をひとつずつ登っていくのです。

中には、数か月で階段を上りきってしまう人もいます。
あれよあれよという間に、魂が地球へとやってきた頃の元々の意識レベルへと戻っていく人もいます。

私の感覚では、魂の元々の意識レベルが高い人は、現世において浮世離れした印象に映ります。
三次元世界の価値観に馴染めないのです。

そのため、社会で活躍することを早々にあきらめたり、孤独に過ごすことを自ら選びます。
取り立ててすごい職業についているわけでもなく、社会的に目立っているわけでもなく、
どちらかというと、一般人に交じって他の人からあまり注目されずに過ごしている印象です。

ひとりで畑を耕していたり、子供を世話している人もいます。
宗教やスピリチュアルな世界に傾倒していく人もいます。

ある男性は、世間では人から敵に回されたり、悪者にされる経験をし、
なるべく人を避けて、ひっそりと生きてきたそうです。

でも、これと魂が目覚め始めるかは、また別の話です。
実際のところは、大多数の人が、魂の目覚めを経験しないまま、一生を終えていくのが現状です。

魂が目覚め始めると、波動が上昇し、過去生を思い出すようになったり、
魂の性質である愛や慈悲の心が大きくなり、利他の心が目覚めはじめます。

すると、分かる人には分かる、確かに周りの人とは違うオーラを放つようになります。
それは決して自分を誇示するようなオーラではなく、周りを包み込むような温かなオーラです。

似たような人たちが周りにどんどん集まっていくでしょう。
そのエネルギーは遥か彼方まで届き、同じ経験を共有できる人が集まってくるのです。

そうして、これまで出会いたくても出会えなかった、自分と心底共感できる仲間が集まってくるのです。

 

 

魂レベルが高い人の大きな誤り

さて、この魂と混同しやすいのが、見せかけの自分です。

世間一般でいう魂レベルとは、実際は魂のレベルを見ているのではなく、
人格部分の性質を言っているのだと思います。

というのは、魂が目覚めていない状態では、魂の意識レベルの違いはほとんど表に出ず、
魂のエネルギーは制限されているからです。

その状態では、主にその人を表すのは人格部分となります。

あなたは、根からいい人と、いい人を演じている人の見分けが付きますか?
人は誰でも、本当は思っていなくても、その場に合わせて取り繕ったり、
自分を良く見せようと、いい人を演じていたりします。

私も、ほとんどの人生において、このいい人をやっていました。
いい人と思ってもらえなかったらどうしようと、内心恐怖心でいっぱいになりながら、
なんとかしてごまかそうとしていたものです。

「〇〇さんっていい人よね」「〇〇さんって感じがいいわよね」と言われたとしても、
それは人前で見せている作った自分かもしれません。
そうした他人からの評価を聞いて、「あ~悪く思われなくてよかった」とほっと胸を撫でおろすのです。

いつもご機嫌で、人当たりが良くて、優しい人ほど魂レベルが高いと誤解されがちです。
でも、それは本人の素の姿なのか、人前で見せている姿なのかは、パッと見ただけでは分かりません。

ほとんどの場合、人は魂の性質を見ることに慣れていません。
ですから、表情や、しぐさ、言葉遣いなど、目に見えるところから判断せざるを得ないのです。

そして、覚醒が始まると、自分を演じる必要はなかったことに気づきます。
不機嫌な自分も、嫌われる自分も、全部自分だったことに気づくのです。

自分がこれまで取り繕っていたことも、無理していたことも、
自分自身ではっきりと分かるようになります。

すると、次の段階が訪れます。
ただありのままでいて、いい人でいられるようになるのです。

ただ素直にいて、自分らしく振舞い、自分らしくいることができるようになります。
そうして、他人の真の姿についても、まるで自分のことのように分かるようになります。

そして、いよいよその時がやってきます。
魂のレベルが、元々の意識レベルに戻っていくのです。

私たちの肉体に紐づいている意識が開放されていったあとに、魂の開放が起こります。
私たちの解放が先、魂の開放はその後です。
この逆ではありません。

魂の意識レベルが上がり、元々の意識レベルまで戻っていくのは、ようやくこの段階になってから、です。

それが何年かかるか、何十年かかるか、また何か月で終わるのかは分かりません。
でも、着実に変化が訪れるようになるのです。

 

 

魂が美しい人とは?

魂が美しい人、とは元々の魂が持っている性質のことを言うのでしょう。
女性性の強い魂、男性性の強い魂、いろいろな魂があります。
非常に強いエネルギーを持つ魂もあれば、そうではない魂もあります。

基本的に、魂の個性は変わりません。
それは私たちの本質が変わらないように、魂の性質もまた、変わらないのです。

問題は、私たち自身が自分の魂の偉大さやパワフルさに、これっぽっちも気づいていないということです。
つまり、自分の魂の美しさに気づいていない、ということです。

魂が美しい人ほど、この三次元世界で生きることに苦しみます。
現実を受け入れることも、現実を直視することにも苦しみます。

人生の途中で、「地球は自分がいる場所ではない」と感じるかもしれません。
疑問を抱きながら、疑念を抱えながら、三次元を生きていくことが苦しく感じられます。

周りの大人は、あなたの魂の美しさには気づいてくれませんでした。
あなたの魂の声には気づいてくれませんでした。

そうしてまた、あなたもいつしか本来の魂の美しさを見失ってしまったのです。

魂と一体となること

私は、人生における幸せとは、自分の魂と一体となり、共に歩んでいくことだと思います。
自分が一人ではないことを知り、
自分一人だけではなく、魂と共に創造をしていくこと。

本当の幸せとは、肉体だけの幸せでもなく、心の幸せだけでもなく、
魂も幸せになることです。

あなたが望めば、あなたに必要な人が必ず目の前に現れるでしょう。
私も、心からそう望んだ時、まさに必要な展開が起こりました。

私たちは心から意図をしたとき、宇宙に強烈な信号を発します。
それが魂から発せられた信号であれば、なおのこと、強烈なものとなるでしょう。

自分にそれを受け取る資格があるか?ですが、
そもそも私たちは、それを受け取る資格があるかどうかすら自分に問う必要はないのです。
だって魂は存在し、存在することに価値があるのですから。

あなたがどんな自己否定感を抱えていようと、どんなトラウマを抱えていようと、関係ありません。
魂は永遠の、ただ存在するだけで価値のある命なのです。

ということで今日は、魂の嘘と真実についてお伝えしました。

私は、その方の魂の色や性質を見てお伝えすることが多いのですが、
パワフルな魂や、おしとやかな魂など、本当にいろいろな個性があります。

覚醒の過程で、自分の魂と明確に会話できるようになった方もいらっしゃいます。
その方は、あまりの感動でしばらく泣き止むことができなかったそうです。

それでは、今日も最後までご覧いただきありがとうございました。

真実の向こう側、愛と平和な世界へ。
瑠璃でした。