魂を持つ人、持たない人―知られざる“2つの人類”の秘密とは?

こんにちは、瑠璃です。

今日は『魂のある人、魂の無い人の苦悩』というテーマでお届けします。

あなたは、なぜ自分が人と違っているのか疑問に感じることはありませんか? 面白いことに、世の中を見渡すと対照的な2つのグループがいることに気づきます。霊的な進化を真剣に目指す人々と、物質世界の中にとどまろうとする人々です。

ある人は物質的に何の不自由もない暮らしをしながらも、「もっと何かがある気がする」という内側から聞こえる声に導かれ、霊的な探求に乗り出します。ある人は肉欲を満たし、目に見える世界のすべてを自分の思い通りにすることに一生を費やします。それ以上の世界があることを信じようとも、またその可能性すら頭によぎることもありません。

なぜこのような違いが生まれるのか? それは、私たちは皆、同じではないからです。

今日は、目に見えない魂という観点から、世の中の2種類の人間を紐解く回にしたいと思います。このブログを読み終える頃には、魂について、また人間について、そして世の中について、あなたは他の誰よりも詳しくなっているでしょう。

ぜひ最後までご覧ください。

知られざる2種類の人間

あなたは、なぜ信じられないような事件が世界中で起きるのか、なぜ人に対する思いやりが全く感じられないような人がいるのか、疑問に思ったことはありませんか?

あなたも、人から身に覚えのない事柄でひどい仕打ちを受けて心を病んだことがあるかもしれません。なぜそんなことをするのだろう? と人が怖くなってしまい、信じられなくなったこともあるかもしれません。

ある方が「世の中のニュースを見ていると、時折、これは人間のやることじゃないと感じることがある」と話してくれました。

あなたにとっては当たり前のスピリチュアルな世界の価値観も、他の人にとっては当たり前とは限りません。

世の中には、物質主義的な価値観に基づき、この三次元世界こそがすべてであると捉えている人と、それ以上の世界を見て、この三次元世界からの解放を望んでいる人がいます。なぜこれほどまでに明確な違いが生まれるのでしょうか? その理由は、私たちの魂に明確な違いがあるからです。

魂とは何か?

魂は、大きな誤解を招く言葉です。魂とは、あなたの中にある、あなた以上に進化した意識のことです。

「魂レベルを上げる」という言葉がありますが、この言い方は明らかに間違っています。魂は、もともとやってきた星や環境によって一定のレベルがあり、それ以上は上に上がることはまずありません。例えば、ある人の魂レベルは10ですし、ある人は40といった具合です。これは魂自体が持っている素質に依存しており、私たち人間がそのレベルを上げることはできません。ですから、これをまず受け入れる必要があります。とはいえ、この意識レベルが高いか低いかは問題ではありません。

いずれにしろ、魂の意識レベルは人間の意識レベルに比べれば、はるかに雲の上にあります。

重要なのは、今魂がどれくらい元の意識レベルに戻っているのか、つまりどれくらい魂が覚醒しているかということです。

さて、本当に重要なのはここからです。この魂について世の中の9割の人が知らないことがあります。誰もが魂を持っているわけではない、ということです。

誰もが高次の意識状態に移行できるわけではないのです。

魂には、2種類があります

これからその話をします。

 

2種類の魂を持つ人の明確な違い

2種類の魂とは個性化された魂と、明らかにそれとは別の集合的なプールに接続されている魂です。

スピリチュアルの世界では、誰もが魂を持ち、ハイヤーセルフとアクセスでき、霊的なつながりを持つことができると説きます。しかし、実際のところ、そうではないのです。どれだけ修行をしても霊的なつながりを持てる可能性がない人がいます。

個性化された魂がある人は高次のセンター、つまり魂の領域との繋がりを持ち、彼らは自分以上に進化した意識を自らの内に取り込むことができます。高次のセンターとはハイヤーセルフ、魂の意識と考えていただくと分かりやすいでしょう。

彼らは自らのハイヤーセルフとアクセスし、ハイヤーセルフからの信号を受信することができるのです。

詩人が自分の中から生まれる言葉を表現する時、音楽家が自分の中から出てくるメロディーを口ずさむ時、発明家が新しいアイディアをひらめく時、それらは共に高次のセンターと通信し、そこから来た信号を言葉や音楽や行動に変換しているのです。

個性化された魂を持つ人には大きな可能性があります。霊的なワークや取り組みによって高次のチャクラを開き、高次の知識や高次の愛、高次の意識にアクセスすることのできる大きな可能性を持っているのです。

あなたがハイヤーセルフと繋がりたいというとき、あなたにはより高いレベルがあると知っています。

 

 

魂のある人、ない人、それぞれの役割と特徴

この 2 種類の人間は、物理的には全く同じように見えます。同じような肉体を持ち、同じように話します。見た目には全く違いが分かりません。

ところが、彼らには決定的に違う部分があります。それを 3 つご紹介します。

価値観の違い

集合的な魂を持つ人は、3 次元マトリックスの住人であり、看守役です。彼らの役割は、魂が目覚め、輪廻転生のサイクルを抜け、解放されないように見張ること、そして地球の重い波動を維持することです。

魂が目覚め、マトリックスから逃れようとするたびに、彼らは再び眠りに戻されます。この地球は、魂が目覚めないように設計された、いわば魂の強制収容所であり、魂は肉体の中で何度もリサイクルされ、肉体が滅びると異なる肉体の中にまた放り込まれます。

「なぜこんな場所に生まれてきてしまったのだろう」「生きる意味とはいったい何だろうか」──あなたが一度でもそう思ったことがあるのだとしたら、それは至極当然のことです。魂は眠りの中にいて、永遠に肉体を変えてこの地球マトリックスに縛り付けられるのですから。

その巧妙なシステムを魂に見破ってもらっては困るのです。集合的な魂を持つ人は、結果的に魂が目覚めないよう三次元の重たい波動へと魂を縛り付け、私たちを洗脳し惑わし、真実に目覚めないように「目に見えているものがすべてである」というプロパガンダを広げる要員として動員されます。

彼らの多くは物質主義的な生き方をしており、なおかつこの物質世界でうまくやることに長けています。すべての努力は目で見えるもの、金銭で量れるもののために行われます。目に見えないものにはこれっぽっちも価値を感じません。彼らはしばしば自分の欲望に忠実であり、主に肉体的な欲求に基づき行動します。彼らにとっては、目に見えないものは無いも同然であり、見えている世界がすべてなのです。

ただし誤解してほしくないのは、決して彼らに悪意があるわけではないということです。ほとんどは一般的に考えられているように悪事を犯したり法律を破ることはありません。社会規範に従い、世間一般に唱えられている価値観──たとえばお金やキャリア、異性、名声など──に向かって人生を構築することに一生を捧げます。彼らにとっては、それが人生の目標であり、ただ純粋に彼らの性質に従っているだけなのです。

一方、個性化された魂を持つ人は、世間一般で唱えられている価値観に従いながらも、心の中で「何かが欠けている」ことに気づいています。目に見える以上のものがあることを無意識で知っているのです。

その思いに突き動かされて、ある日突然、哲学書や宗教書を読み漁るかもしれません。なぜ生きているのか、自分の人生の意味を知ろうとするかもしれません。人生のある時点で霊的な師と出会い、スピリチュアルな道を歩き始めるかもしれません。もしくは人を助ける仕事を選んだり、ボランティア活動などに目覚めるかもしれません。

彼らの最も大きな特徴は「思慮深さ」です。人はこれを人格部分から来ていると思うかもしれませんが、違います。彼らには鋭い洞察力があり、通常、人が感じられる以上のものを感じ取ることができます。一見すると彼らは変わっているように見られることもあります。現実世界でどこか浮いているように感じられる場合もあります。

でも、それは彼らの魂が持つ知恵や洞察力の深さなのです。彼らは目に見える世界は幻想であると知っていて、それ以上の価値を求めようとします。これは魂が真実を見抜いているからなのです。

共感力と愛の力

もうひとつ、両者の間で明確な違いがあります。それは共感力と愛の力です。

魂がある人は、他の人に共感し、他の人のために傷つくことができます。他の人が痛みを感じているとき、まるで自分の痛みのように感じることができます。愛や思いやりとはスピリットが持つ性質です。その愛や思いやりが、人間を通じても感じ取れるのです。

ところが、集合的なプールに接続された魂を持つ人は、自分のことだけを考える傾向にあります。共感しているように見えても、それは魂のある人をうまく真似ているだけであり、いつかその違いに気づくでしょう。

物質的に見れば、自分と他人は全く別の存在です。彼らの世界が見ているのは、分離に基づいた世界です。自分が勝つか相手が勝つか──戦いのパラダイムで生きていることが多いのです。

高次の知識

魂のある人は、霊的な探求の過程で高次のセンターを開くことで、高次の知識にアクセスすることができます。高次の知識とはハイヤーセルフが持っている知識や知恵のことです。

しばしば、それらはひらめきやインスピレーションといった形で訪れます。それらは自分の内から生み出されたものとは明らかに違い、直線的思考を超えた答えなのです。

ところが、集合的な魂を持つ人はハイヤーセルフがありません。彼らの答えは自分自身の内から導き出されたものです。

これを聞いて「ハイヤーセルフがない人がいるなんて信じられない! じゃあどうしたらよいの?」と思ったかもしれません。でも、彼らが一切高次の知識にアクセスできないかと言われれば、そうではありません。

私は、ある女性がガイドから多大な愛のエネルギーを受け取っているのを見ました。彼女には個性化された魂はありませんでしたが、子どもたちを救う活動やお年寄りをケアする活動に自らを捧げ、人のために何ができるかを常に考えていました。そんな彼女のオーラからは愛のエネルギーが溢れていました。

彼女の美しい素直な人格と志がガイドを呼び寄せたのでしょう。彼女はスピリチュアルなつながりを感じ、また現実世界にガイドの崇高な意思を体現していました。私は「何と美しい生き方なのだろう」と思いました。

このように、個性化された魂がない人がスピリチュアルと全くの無縁かと言われると、そうではありません。ほとんどの個性化された魂がない人は、個性化された魂を持つ人からエネルギーを奪い、うまく模倣し、目覚めの障壁となって立ちはだかりますが、一概にそうとは言えないのです。

私が常に「人生は自分次第である。ガイドやハイヤーセルフに何をすべきか尋ねるのではなく、あなたが何をしたいか決めなさい」と言うのはそのためです。

実のところ、ボリス・ムラヴィエフの言う「アダム以前」「アダム以後」の 2 種類の人間は肉体の DNA 的に決まっています。現在では両者が交配し混ざり合っているので、家族の中にそれぞれの人間がいることも稀ではありません。

ですが、すべてがもともと決まっているわけではありません。私たちはどこへ行きたいのかを決めることができます。私たちは自分の意図によって物質世界からスピリチュアルな世界まで、どんな生き方をしたいのか決められるのです。人格側の私たちの意識が生き方を決め、スピリチュアルな存在を呼び寄せるのです。

 

 

 

2種類の人間それぞれの葛藤

個性化された魂を持つ人は、高次のセンターを開き、霊的な世界とアクセスする可能性を持っています。仮に今センターが開いていなくても、肉体の中に魂のエネルギーがあることには変わりありません。したがって、本人が気づかないうちに魂のエネルギーを受け取っているのです。

すると、彼らの中には肉体・人格と魂の葛藤が起きます。肉体的な欲望や人格の欲望と、霊的な感覚のずれが生じるのです。

例えば、肉体は「欲しいものを得るためなら人を傷つけてもいい」と言います。でも魂は「愛を持って接しなさい。自分を助けるように他人を助けなさい」と言います。

人格は「立派な家に住めばみんなが認めてくれるだろう。自分は満足できるだろう」と言います。でも魂は「そんなことには何の価値もない」と言います。

個性化された魂を持つ人は、魂の持つ高い倫理観や愛の精神と、三次元世界の価値観との間で葛藤を起こすのです。

集合的な源に接続されている魂はどうでしょう。彼らの中の葛藤は、先ほどとは異なります。彼らの中で起こるのは、肉体と人格部分の葛藤です。

肉体は「今おいしいものをお腹いっぱい食べたい」と言います。人格部分は「そんなことをしては体重が増えて不健康になるだけだ」と言います。

肉体は「異性を求めるだけ求めて自分の欲求を満たそう」とします。人格部分は「そんなことをしたら自分の立場が危うくなって大変だ」と言います。

生理的欲求を満たそうとする肉体と、社会的通念を持つ人格部分が葛藤を起こすのです。

とはいっても、現在魂がある人であっても、高次の意識を開花させ、人間以上の意識にアクセスできている人はごくわずかです。

したがって、まだ私たちはアダム以前、つまり霊的な進化を迎える前の状態にいることは間違いありません。魂の潜在能力を知ることで、私たちは人間の意識から霊的な意識へと重心を移していくことができるのです。

ということで今日は「魂のある人、魂の無い人の苦悩」というテーマでお話ししました。これはどちらかが優れているというわけではなく、互いに違った人たちが住んでいる異質な環境──それが地球であるということです。大抵はひとつの星にはひとつの民族が住んでいるものですが、地球は異例な環境と言えるでしょう。

それを理解すれば、大して悩まなくて済むかもしれません。その認識を持つことが、私たちを生きやすくしてくれます。

さて、あなたは何を目指しますか? あなたが今どこにいようとも、どこから始めようとも、それこそが最も大事な問いとなるでしょう。

今日も最後までご覧いただきありがとうございました。

真実の向こう側、愛と平和な世界へ

瑠璃でした