あなたの隣にもいる?魂を持たない人との知られざる関係

こんにちは、瑠璃です。

今日は「魂の無い人の真の役割~人の3タイプ~」についてお話します。

あなたは世の中には魂のある人と魂の無い人がいると聞いたら驚きますか?
なぜ、ある人は目に見えない世界を当然のごとく受け入れ、ある人はそれらを全く受け入れようとしないのでしょうか。
なぜ、愛と平和な世界について何千年も語られながら、未だに戦争や争いなどが続いているのでしょうか?

それは、世の中に2種類の人間がいるからです。
この2種類の人間はその性質が全くといっていいほど異なっており、それが様々な混乱を招く原因となっています。

実はこの話を伝えているのは私だけではありません。
今日は、魂の無い人にかかわる様々な人たちの解釈をご紹介しながら、あなたが世界を全く異なるレンズで捉えられるよう、様々な見方をお伝えします。

あなたはこのブログを読むことで、真の目覚めとは何かをしっかりと理解し、二度とその目的を見失うことはないでしょう。
最後には、私のガイドからのメッセージをお送りしますので、ぜひ最後までご覧ください。

まず、人間という定義についてお話しましょう。

 

人は、例外なく空の容器です。
英語では carrier とか container とか呼ばれることもあります。
コンテナという言葉が示すように、何かを入れて運ぶ箱のようなものを思い浮かべてみてください。

ここからが非常に重要なのですが、私たちが普段自分だと認識している肉体は、容器の中身ではなく、「容器そのもの」であるという認識を持ってください。
肉体とは、何かを入れて持ち運ぶための箱です。

では何の箱なのかというと、魂の箱です。
肉体は魂を入れて持ち運ぶための箱、魂の側から見れば、肉体は着ぐるみのようなもので、私たちが服を着替えるように、魂がまとうのが肉体というわけです。
肉体という箱に入った魂というエネルギーを想像してみてください。

これが私達人間の全体像です。

でも、普段私たちは、「〇〇さんは背が高いな」とか、「スラっとしているな」とか、「鼻が高い人だな」とか、肉体の特徴を主に捉えていますよね。

普通、「〇〇さんは、ピンク色であたたかな魂だよね」とかは言いません。

私たちが普段使用している五感である、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚は、本来の魂から見れば非常に限定的な感覚です。
人の目が捉えられる電磁波の範囲を可視光線と呼びますが、可視光線の範囲外にあるのが赤外線や紫外線です。
ですが、赤外線や紫外線は人の目では捉えることはできませんよね。

ちょっと考えてみていただきたいのですが、私たちの周りにはWIFIの電波やテレビの電波などが無数に飛び交っていますが、それらを感じることも目で見ることもできません。

本来、肉体をはじめとして私たちが物質として捉えているものは、波動にすぎません。
その波動を五感を通じて捉え、脳が立体画像として解釈することで今私たちが見ている世界が作られています。

つまり、肉体を通じて情報を得る以上、私たちは極端に制限された情報しかキャッチすることができないのです。
言い換えてみれば、私達は肉体の五感や脳というレンズを使って外界の情報を得ている以上、一定以上のものを知覚することはできず、その意味で私達は物質世界に閉じ込められているといっていいでしょう。

さて、ここからが魂の話です。

世の中には、肉体という容器の中に魂のエネルギーを有している人と、そうでない人がいます。
念のため申し上げますが、これはどちらが優れているとか劣っているという話ではありません。

もともと地球における肉体は物質次元において肉体労働をしたり、魂が肉体感覚を楽しむために作られましたが、やがて魂を閉じ込めておくという目的のために使われ始めました。

地球というのは宇宙の中でも異質な場所で、他の惑星から、体制に従わない都合の悪い魂たちを閉じ込める強制収容所的な役割を持っています。

そうして、肉体がそれにぴったりだったということです。
魂はどこかほかの場所から連れてこられ、本当は自分が誰だったのかを忘却させられ、あたかも自分が肉体であるかのごとく錯覚させられます。

そうして肉体が滅びると、輪廻転生によってリサイクルされ、記憶を消去させられ、再び新しい肉体へと放り込まれます。
もし私たちが過去の転生の記憶を全て覚えていたら、もし私たちが死ぬことがなかったら、世界はどれだけ発展していたでしょうか。

本来、肉体とは魂が自由に操作できる道具に過ぎなかったにもかかわらず、今では反対に肉体がメインのキャラクターとなり、魂が肉体の添え物になっているのです。

肉体は、男女における生殖活動により増えるように設計され、指数関数的に増加していきます。
やがて、肉体の数が閉じ込めておく魂の数よりも上回った結果、魂を持たない人たちが現れたということなのです。

さてここからは、魂の無い人についての他の解釈をご紹介しましょう。

一人目が、ドロレス・キャノンです。
彼女はヒプノセラピストとして、ヒプノセラピーのセッションを行っていました。
セッション中、催眠状態にあるクライアントのハイヤーセルフを呼び出したところ、驚くべきことに魂の無い人についての話が語られたそうです。

彼女は、魂の無い人を「バックドロップピープル」、つまり背景の人と呼んでいます。
他にも、NPCと表現することもあります。
NPCとは、ノンプレイヤーキャラクターの略であり、ゲームの中の主人公と対比して、ゲームの中で主人公が出会う脇役たちのことです。
彼らにはプレイヤー、つまり操作をしている人がいません。

彼女によると、彼らは人間のように見えるが、実際には魂がない人であり、マトリックスのシミュレーションのようなもので、魂のある人の三次元世界の経験をよりリアルに、臨場感を高めるための、映画におけるバックグラウンドキャラクターのようなものだそうです。

彼らは、魂を持たない意識の集合体で、それらは集合的なエネルギーから成っています。
魂を持っている人のようにふるまいますが、実際には魂はありません。

それらは、なぜ高次の意識や思いやりの精神、スピリチュアルに理解を示す人がいて、一方ではそのように見えない人がいるのかを説明しています。

魂の無い人の目的は、ただひとつ、私たちが共感力や無条件の愛を育むためです。

私たちがこの三次元世界で無条件の愛に目覚めるためには、自分を反映するための鏡としての登場人物が必要です。

そうやって他の人と関わりあいながら、私たちは本来あるべき姿である無条件の愛に目覚めさせるように協力してくれているのです。

彼らは人生という映画において、学びを深めるためのエキストラ的存在であり、魂を持っている人は、自分を反映するものとして、彼らによって多くを学ぶことができます。

ドロレス・キャノンによれば、魂を持たない人にはハイヤーセルフがありません。
彼らは単なるエネルギーであり、ホログラフィックなイメージです。
ひとつの星から別の星へ、背景の人を演じるために旅をしています。

彼女は、彼らはソフトウェアプログラムのようなものであり、三次元世界において現実感を演出することにより、魂の進化を遂げられるようにサポートしてくれていると語ります。

これらは、どの段階の人が優れているとか劣っているという話ではなく、それぞれが、それぞれの独自のカリキュラムによって、より個性化された魂に目覚めるための旅にいるのです。

バックドロップピープルは、魂のある人とのかかわりあいを通じ、彼らの進化の過程で、やがて魂のある人のような進化を遂げていきます。

つまり、個性化された魂という旅に向けての進化の過程にいるということです。
そして彼らは、魂のある人の成長を助けるためにここにいてくれると語ります。

しかしながら、突き詰めていえば、魂のある人も、魂の無い人も、どちらもホログラフィックなイメージに過ぎません。
つまり私たちは例外なくエネルギーであり、それを脳が立体画像として解釈しているだけなのです。

そういった意味で、魂がある人、ない人に関わらず、他者の反映としての鏡の役割を持ち、互いに鏡に映しあうことによって、自らの経験を高めているという点では変わりがないといえるでしょう。

お互いの写し鏡として成長を助けるという意味では、魂のある人も、誰かにとっての背景の人なのです。

他にも、別の解釈もあります。

それは、肉体的な痛みやトラウマを経験しないようにする宇宙の働きだという解釈です。

この世界では、肉体的に痛めつけられたり、虐待されたり、他者によって深い心の傷を負うこともあります。
中には、魂を持っている人が、他人を痛めつけたり、暴力を振るったり、ひどい行いをする場合もあります。

宇宙は、それを止めたいと思っています。
宇宙は、誰かが苦しみ、ひどいトラウマや心の傷を抱えるのを望んでいないからです。

でも、彼らには自由意志があるため、暴力を振るったり、他者を傷つけたりすることを一方的に止めることは許されません。

では、どうするか、というと、その暴力を振るわれていたり、傷つけられている人を魂の無い人と入れ替えるのです。

端から見れば、暴力を振るわれていたり、傷つけられていたとしても、その人はバックドロップピープル、つまり背景の人であり、ただのエネルギーに入れ替わっているということです。

人がひどい虐待やトラウマを経験させられた時、それを癒すために20回以上の転生を繰り返さなければいけないと言われます。

ですが、人には自由意志があるため、宇宙は勝手に止めに入ったり、それらに介在することは許されていません。

なぜならば、他の人にひどいふるまいをすることが、その魂の経験のために必要である場合もあれば、過去のカルマが関係している場合もあるからです。

もし、その人が自分の行為を改めて、その肉体的苦痛を与えるのをやめるのであれば、それは自由意志においてでなくてはならないのです。

最終的には、宇宙は愛と共感力を学ぶことができるように設計されています。
そこで、その状況を止めることができない場合、被害者である人をバックドロップピープル(背景の人)にチェンジするというわけです。

とはいうものの、実際には、ひどい扱いを受けた人が「私はバックドロップピープルではない」と告白することも数多くあるといいます。

そのほかに、人間のカテゴリーについて言及したもので、最も古いといってもいいのがグノーシス主義でしょう。

グノーシス主義では人の3つのカテゴリーについて言及しています。

THE PNEUMATICS(ニューマティックス)

彼らは人間における最高位と位置づけられ、個性化された魂と自由意志を持つ存在たちです。

個性化されたというのは、「自分」という自己認識を持ちながら、自己としての歴史を持っているという意味です。

彼らは、マトリックスを簡単に見破ることができ、物事の本質を見抜くことができる人たちであり、物質世界や肉体を超えた世界を容易に理解することができます。

THE PHYCHICS(サイキック)

彼らは、個性化された魂と自由意志を持っていますが、ニューマティックスほど進化をしていません。

三次元を超えた世界や高次の意識と繋がることで、より強い自由意志を持ち、個性化された魂への道を辿ることができる、非常に多くの可能性を秘めている人たちです。

ちなみにここでいうサイキックというのは、一般的なサイキック能力とは関係がありません。
昔、「サイキー」というのは魂のことを指していましたので、魂を持っている人という意味です。

THE HYLICS(ハイリックス)

彼らは、グループソウルに接続しており、個性化された魂を持ちません。

彼らは、三次元マトリックスの中でノンプレイヤーキャラクターとしての役割を果たしています。
彼らは物質的な世界にとどまり続け、目に見える世界を超えた概念を理解することができません。

彼らはハートセンターを持たず、上の4つのチャクラを持ち合わせていない他、物質次元を超えたスピリチュアルな世界への理解が欠落しています。

でも、厳密に魂が全くないのかというと、そうではありません。
彼らは、集合化されたエネルギーの源に接続してはいるものの、個性化された魂のエネルギーを持つに至ってはいないという意味です。

彼らは映画『マトリックス』における「エージェント」のような存在です。
映画『マトリックス』の中では、ネオと対照的な存在として、黒いスーツを着てサングラスをかけた「エージェント・スミス」が出てきましたよね。

彼らはマトリックス内にいて、マトリックスに接続された人であれば、どんな人にもなり替わることができました。

実は、あの有名な画家も同じような言葉を残しています。
レオナルド・ダ・ヴィンチは以下のように言いました。
「人は3つのタイプに分けられる。積極的に見る人、示されれば見る人、見ようとしない人だ。」
There are three classes of people: those who see, those who see when they are shown, those who do not see.

これをグノーシス主義に当てはめるのならば、
積極的に見える人とは THE PNEUMATICS(ニューマティックス)、
示されれば見る人とは THE PHYCHICS(サイキック)、
見ようとしない人とは THE HYLICS(ハイリックス)
といったところでしょう。

いずれにしろ、私たちがやらなければならないのは「真に目覚める」ことです。

真に目覚めるとは、私たちが普段知覚している世界が三次元マトリックスの内部の世界であることを見破り、真実の波動、その外にある波動へ還るということです。

世界は、それらが見える人のために開かれています。
今こうしている瞬間にも、真実の光があなたの元に降り注いでいます。

あなたが心を開けば、その光を受け取ることができるのです。

あなたがどの道を行けばよいか、それはあなたの魂が示してくれるでしょう。
あなたの魂はまだ、思い出したばかりです。
でも、魂は肉体の私たちが考えるよりはるかに多くのことを知っています。

あなたは真実の波動が感じられますか?
あなたはやがて、自己の魂、ハイヤーセルフは、真実の波動をキャッチするための受信機であることに気づくでしょう。

スピリットとしての魂は、地球という三次元マトリックスに入る前のことを覚えています。
私たちは、この宇宙をも創造した偉大な存在であり、本来は、目の前の出来事に右往左往するようなちっぽけな存在ではありません。

その感覚を頼りに、一歩一歩進んでいけば、あなたはあるべき姿へと導かれるでしょう。

そして、一度その真実の波動をキャッチしたならば、その光を自らの中に取り入れてください。
これは言葉で明確に記述できるものではなく、感覚でしかとらえることができないでしょう。

ですから、あなたの感覚が頼りなのです。
あなたが目覚めることを本当に選択したならば、あなたの目の前に道は開かれます。

ということで、本日のガイドの言葉をご紹介しました。

それでは今日も最後までご覧いただき、ありがとうございました。

真実の向こう側、愛と平和な世界へ。

瑠璃でした。