あなたがあなたを愛した瞬間、すべてが動き出す

こんにちは、瑠璃です

今日は自分を愛する方法についてお伝えします。

あなたは本当の自分で、もっと自然体で生きていきたいと思いませんか?

本当は、周りに遠慮せず、一切の気負いもなく、思い切り自分を出して生きていけたら。

そうして、自分が心の底からやりたい!と思うものに出会い、毎日充実しながら生きていけたら。

そうすれば、きっと今よりも幸せな人生が待っているでしょう。

何をするにしても、欠かせないのは「自分を知ること」、そして「自分を愛すること」です。

今日は、もっと楽に生きるために必要なすべてをお伝えします。

・愛することと癒されること
・9割の人が間違える「自分」の愛するポイントとは
・使命に導かれるために努力は必要なのか?
・自分を愛すると人生が楽になる
・自分を愛せるようになった先に待っていること

このブログを読むことで、あなたの中の本当の自分を見つけることができるでしょう。

ぜひ最後までご覧ください。

 

あなたは、癒しが好きですか?

私は、好きです。

社会に出てからは特に、癒されたいという気持ちを抱えながらずっと生きてきました。

当時の私は、「本心を言ったら嫌われる」「隙を見せたら馬鹿にされる」「ミスは一切、決して許されない」

「人と同じようにいて、いつも元気で機嫌よくいなければならない」

こんな風に、自分をがんじがらめにして生きてきました。

今思えば、まるで機械のように単調で、決してブレることのない人間を演じていたように思います。

当然、機械のような人間を演じることは、体力も気力も消耗しますから、だらける時間も、リラックスする時間も、ぼーっとする時間も、一人でいる時間も、人一倍必要としました。

それだけ、自分を回復させるための時間が必要だったのです。

そんな風にしながら、なんとかバランスを保っていましたが、自分を心の中でガチガチに縛る習慣が、心と体を痛めつけ、心身の健康に不調をきたしてしまいました。

私は生まれつき体が弱く、人一倍物質的なものに影響されやすい状態でしたが、それに拍車をかけたのは、明らかに心理的なストレスでした。

明らかに自分とは違う異質なエネルギーをまとうことのストレスが、じわりじわりと肉体を蝕んでいきました。

でも、不思議なことに、自分を生き始めてから、そんなに癒されたいと思わなくなったのです。

そうして、あれほど強く癒しを求めていたのは、日々の自分を抑圧している反動だったと知りました。

今、多くの人が癒しを求め、自分を緩めてくれるもの、自分をほぐしてくれるもの、自分を安心させてくれるものを探しています。

なぜでしょうか?なぜ自分を愛することがこんなにも難しく感じるのでしょうか?

愛することと癒されること

心の中の私たちは、心底愛されたいと望んでいます。

でも、表層の自分は「愛されるためには完璧にならなくてはならない」「愛されるためには何事もそつなくこなさなければならない」「今よりもっとこうなったら愛されるのに」と、愛されることのためにあらゆる条件を掲げます。

今よりもっと完璧になったら、今よりもっと素晴らしい人間になったら、やっと愛される資格があるというわけです。

まるで、愛されるためには条件が必要である、といわんばかりに。

でも、これって本当にそうでしょうか?

この結果、私たちは愛されたいと願いながら、愛されることを自ら遠ざけているのです。

なぜなら、愛されるために誰か他の人のようにならなければならないと思っているからです。

これが愛されることのパラドックスです。

自分が愛されたいと思えば思うほど、自分とはかけ離れた方向へと向かっていってしまうのです。

そうして、自分ではいられないことの反動として、癒されることをより強烈に欲するようになります。

でも、本来私たちはすでに癒された存在なのです。

私たちが本当の自分でいる時、すでに癒しは行われています。

私たちが本当の自分でいることですでに、癒しは完了しているのです。

そう、究極的な癒しとは、本当の自分でいることだったのです。

これ以上の癒しが存在するでしょうか?

私たちが癒されたいと願うとき、心はありのままの自分でいたいと叫んでいるのです。

自分を癒すこととは、本当の自分でいること。

そして、自分を愛する究極の方法は、本当の自分自身でいることを自らに許すことです。

9割の人が間違える「自分」の愛するポイント

つまり、こうです。

多くの人は、自分の気に入らないところを、まるでオセロの黒の石を白に返すかのように変えていく、それが人生というゲームだと思っています。

すると、自分の中に黒い石を見つけるたびに落ち込み、自分を責め、取り繕う、それの繰り返しです。

そしてスピリチュアルな教えが、それを助長します。

「ネガティブはネガティブなものを引き寄せる、だからポジティブでいるように努力すること」

でも、人生はポジティブになりたいからといって、ポジティブになれるほど簡単なものではありません。

そうして、自分の中に黒い石を見つけると、自分の中で戦いが起きます。

「また黒を見つけたぞ!お前は白にならなければならない!黒はここにいてはいけないんだ!」

でも、人生は自分の黒い石を潰すゲームではありません。

ネガティブを排除するゲームでもありません。

自分の一部を排除した結果、果たして私たちが心底癒されることができるでしょうか?

これは明らかに、本当の自分の認識が間違っているのです。

そう、本当の自分とは、一点の曇りもない自分ではなく、曇りの日も晴れの日もある自分なのです。

時には、1か月あまり続く梅雨がやってくる場合もあります。

木の葉が落ち、荒涼とした冬が何か月も続く場合もあります。

反対に、雨が降らず、太陽がギラギラと大地を照らしつづける日もあります。

私のところにいらっしゃる方は、こんな風にいいます。

「私は繊細すぎて、生きづらくて、この世的には何の長所もないし、明らかに人より劣っています」

おそらく世間一般の基準からは外れていて、そんな自分には価値がないといいたいのでしょう。

でも、私はこう答えます。「それは才能です。これからその繊細さが求められる時代が必ず来ますよ」

人は、勝手に、何が黒で、何が白かを決めます。

これがその人の価値観です。

世間の価値観であったり、親の価値観であることもあるでしょう。

私たちもついつい、自分の価値観を人に押し付けてしまいがちです。

でも、その方によくよく聞いてみると、1対1でお客様をサポートするお仕事や、マイペースで没頭できるものについては、人から喜ばれていたり、やりがいを見いだしていたりするのですよね。

決して、人より劣っているわけでもなく、また、長所がないわけではないのです。

人に尽くそうと思っていろいろ行動しているうちに、結果的に、短所だと思っているものが長所であったことに気づいたりするわけです。

人はこう尋ねます。

「私の使命はなんでしょうか?」「私は何をするべきなのでしょうか?」

自分の人生においてやるべきことがあるとしたら、もし自分に運命のようなものがあるとしたら、それを知りたいですよね。

結論からいいましょう。

使命とは、人が本当の自分に戻っていったときに、初めて導かれるものです。

使命とは、あなたが本当の自分でいる上に築かれます。

使命とは、あなたが無理をして、あなたが自分ではないものになろうとすることの上に築かれるのではありません。

つまり、使命とは、あなたの持って生まれた素質を生かし、あなたが本当の自分でいる状態において成し遂げること全てです。

それが、主婦であろうと、子育てであろうと、先生であろうと、農業であろうと、なんでも構いません。

どんな使命であっても、常に本当の自分でいることとセットなのです。

 

使命に導かれるために努力は必要ですか?

使命に導かれるために努力する必要はあるか、と聞かれたら、必要ともいえるし、必要ではないともいえるかもしれません。

努力という言葉は、たいてい、自分ではないものに必死になろうとするために、また自分を認めるために、本来必要である以上に高い目標を達成するために、もしくは自分を型に無理矢理はめるために使われているように感じます。

ただし、1点だけ努力が必要な箇所が存在します。

それが、本当の自分に戻ろうとする努力です。

本当の自分に戻るために必要なことは、本当はふっと肩の力を抜くことだけなのですが、これが本当に難しいんですね。

実際のところ、かなりの努力が必要です。

というのは、本当の自分でいる以外の時間があまりに長く、それが板についてしまっている場合、そのパターンから抜け出すのは容易ではないからです。

リラックスできたと思ったら、瞬時にまたひどいストレス状況に引き戻されることもあるでしょう。

それは、いったんは緩んだと思っても、まだ完全にパターンから抜け出ていないからです。

人によっては、本当の自分に戻るために危機を経験することが必要な場合もあります。

それは、病気や事故かもしれないし、身近な方やペットの死かもしれないし、仕事や人間関係の問題かもしれません。

これまでの自分のやり方ではどうにもならない危機に直面したとき、初めて人はこれまでのパターンを突き破り、これまでのパターンから抜け出すことができるのです。

でも、一度、このパターンから出て、全体を見渡すことができれば、「あぁ、なんだそんなことだったのか」と思うでしょう。

まるで、人生ゲームを上から見渡したかんじです。

思わずその人生ゲームを必死にクリアしようともがいていた過去の自分を、微笑ましく感じるかもしれません。

こんな風に、自己の視点の変化を体験した方はこう言います。

「『自分を愛する』って言葉を何度も聞いていたけれど、その時は全く意味が分かっていなかったことに初めて気づきました」

「私は、自分のネガティブなところを手放そうとして必死になっていたけれど、それも含めて自分だったということに初めて気づきました」

「ただ、認めてあげればいいだけなんですね!」

いったん自分を受け入れてしまえば、それまでの牢獄から解放されたように、ふっと楽になります。

こんなにも抵抗していたのがばかみたい、と思うでしょう。

そうして、力を失ったパターンは、あなたから離れていくのです。

 

自分を愛すると人生が楽になる

自分を愛すると人生が楽になるのは、自分に無理強いをしなくなるからです。

だから、それほど落ち込むこともなくなります。

落ち込んだとしても、そこからどうやって出ればいいかが分かります。

このまま落ち込むことを選ぶことも、そこから出ることも、どちらでも選べると知っていて、

そのどちらにも優劣がないと知っているのです。

だから、焦らなくて済むようになります。

私のところで学んでいただいているある方のエピソードですが、

自分に向き合い始めてから約3か月後に自分の使命が見つかり、

急展開でその3か月後にはその使命を叶えるためのお店を出すことになったそうです。

彼女は自分に向き合い始めた当時は、自分が何をやりたいか全く頭になく、

思い描いてすらいなかったとのこと。これはすごいスピードですよね。

彼女は、これまで自分を生きていないなと漠然と思いながら過ごしていて、

このままだと人生後悔するなと思っていたそうなんですね。

自分に向き合う中で、時には大泣きして、辛い気持ちになって、しんどくなって、

それでも最後までやってみようと自分と向き合うことを止めなかったそうです。

すると、みるみる目の前の霧が晴れていくように、体の痛みが楽になり、

やがて、自分が本当にやりたいことが現れたそうです。

これは本当の自分に戻っていくのと明らかに比例していますよね。

そして周りの後押しもあり、条件が整いすぎてしまって、

あれよあれよという間に自分のお店をオープンすることになりました。

「それまでは、失敗したらどうしようとか不安だったけど、なんだ、自分の人生だよねって思ったら怖くなくなったんです。だから今では何の恐れもなくスイスイ行動できます」

とおっしゃっていました。

本当の自分に戻れば、勝手に使命が付いてきます。

そして、もっと楽に地球界にその使命を形にすることができるのです。

 

自分を愛せるようになった先に待っていること

自分を愛することができるようになった先に、本当の目覚めが待っています。

その目覚めとは、魂の目覚めです。

私たちの人格部分が、自分を心底受け入れられるようになった時、

初めて魂が目覚める土壌ができるのです。

それまではだめです。

自分と戦うことに精いっぱいで、魂のエネルギーにすら気づかないでしょう。

ある女性は、自分の魂にアクセスしたとき、そこに女神のような女性が見えたそうです。

そうしてその女神のような女性の回りには、天使が飛んでいました。

それははっきりと、くっきりそう見えたそうです。

彼女は、天上から光のシャワーが降ってきたのを感じていました。

そうして、瞑想から戻ってきたとき、本当に嬉しそうに爛々と目を輝かせて話してくれました。

彼女もまた、本当の自分に戻った結果、魂との出会いを果たしたのです。

ということで、今日は自分を愛する方法についてお伝えしました。

こないだ、原稿を止めるのに、ホッチキスがないな~と思って探したのですが、見つからず、

しょうがないのでクリップで止めていたんですね。

そして今このブログ記事を書いていて、ふと机の上に目をやると、なんとそこに!探していたホッチキスがあったのです。

あれ、なんだ、欲しかったものは、一番近くにあったんだと、笑ってしまいました。

私たちは、自分に足りないものを、あちこちを探しまわっていますが、意外に目の前にあるのかもしれませんよ。

もしあなたにも似たような体験があったら教えて下さいね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

愛と平和な世界へ

瑠璃でした