魂がある人・ない人──あなたはどちらの存在ですか?

こんにちは、瑠璃です。
今日は魂のある人、魂のない人についてお話します。
あなたがスピリチュアルな旅の途中にいるのであれば、魂についてもっと知りたいと思っていらっしゃるのでしょうか。
実は世の中には2種類の人間がいます。
それは、魂がある人と、魂がない人です。
あなたは自分と他者との違いが、遺伝的な違いや、育てられ方の違いだけだと思いますか?
いいえ、違います。
実は見えないレベルでの決定的な違いが存在します。
今日は、魂がある人、魂がない人の真実に迫っていきたいと思います。
ぜひ最後までご覧ください。
魂とは何か
圧倒的な煌めきや感動を感じた瞬間、あなたはそれがどこから来るのか知りたいと思ったことはありませんか?
そう、それは魂です。
実は、この魂こそが大きな違いを生む根源だと知る人は少ないでしょう。
グノーシス主義が語る3種類の人間
1世紀に誕生し、2000年以上の歴史を持つグノーシス主義は、3種類の人間について語っています。
1.THE HYLICS(ハイリックス)
肉欲に支配された人々。
彼らはグループソウルに接続しており、個性化された魂を持ちません。
物質的な世界にとどまり続け、目に見える世界を超えた概念について疎く、集団的に行動する傾向があります。
2.THE PSYCHICS(サイキック)
進化途中の人々。
個性化された魂と自由意志を持っていますが、目覚めの最終段階までは達していません。
三次元を超えた世界や高次の意識と繋がることで、より強い自由意志を持ち、個性化された魂への道を辿ることができる人たちです。
3.THE PNEUMATICS(ニューマティックス)
目覚めている人々。
人間における最高位とされ、個性化された魂と自由意志を持つ存在たちです。
魂があるかないかの決定的な違い
グノーシスは、自己や世界の本質を知ることで、この世界から抜け出しましょうという思想ですが、
実は「個性化された魂を持つか、持たないか」という点で、人間という本質を見抜いていたとも言えるのです。
1番目の人たちは個性化された魂を持たず、2番目と3番目の人たちは段階こそ違いますが、魂を有しているという点で大きく異なります。
魂がない人の特徴
彼らには個性化された魂がありません。
物質世界の中で非常にうまくやることが得意で、この地球は彼らにとって絶好の遊び場といえるでしょう。
物質主義的で、目に見えることに強く興味を持ちます。
集団で行動することを好み、人とのつながりを重視します。
肉体的欲求が強く、世俗的で、物質的な成功を自然に受け入れる傾向があります。
社会に馴染むのが上手で、バイタリティがあり、本能的で動物的な感性を持っています。
一方で、人間的な深みや思慮深さに欠けることがあり、スピリチュアルな領域への理解が決定的に欠けています。
彼らは“下位のセンター”のみで生きており、“上位のセンター”すなわちスピリットの領域には到達できません。
なぜなら、そこには魂の個性化という条件が必要だからです。
彼らは集合的なエネルギー源とつながっており、エネルギーをシェアしながら生きています。
だからこそ集団への適応力が高く、協調性が強いのです。
本能の強さゆえに、動物のように生きることが自然であり、その本能に理屈を超えて従って生きています。
魂がある人の特徴
個性化された魂を持つ人は、他者と分かり合えなかったり、社会に馴染みにくいと感じることがあります。
子供の頃からどこか「知っている」感覚があったり、デジャヴのような体験が多く、
物質世界に居心地の悪さや違和感を覚える人もいます。
それは、魂が地球以外の場所の記憶を持っていたり、精神世界とつながり始めているサインかもしれません。
魂が目覚め始めると、スピリチュアルへの関心が高まり、自分が何者であるかを深く知りたくなっていきます。
そして、精神的な探求を続けるうちに、上位のチャクラが開き、本来の愛と調和の領域へと戻っていくのです。
それが、私たちが「悟り」と呼ぶ状態です。
魂がある人、魂がない人、ルーツの違い
つまり、「個性化された」魂がある人と、「個性化された」魂がない人がいるということです。
これらをインディビジュアルソウルと、グループソウルと呼ぶ場合もあります。
インディビジュアルソウルは、個々の独立した魂。
グループソウルは、集団でひとつの魂、とイメージしていただくとよいでしょう。
実は、両者の歴史は全く異なっています。
ここにある一冊の本があります。
タイトルは「エイリアンインタビュー」。
これは、1947年、アメリカのニューメキシコ州ロズウェルの近くでUFOが墜落するという事件、通称ロズウェル事件において生き残った無傷の宇宙人「エアル」が語ったことを記録した本とされています。
その真相は謎とされているものの、エアルが語った事柄は、地球の常識を覆す、あまりに衝撃的な内容でした。
宇宙は長らく「旧帝国」と呼ばれる残忍で侵略的な政府連合によって支配されており、「旧帝国」が改心させたり、抑制したりするにはあまりにも凶暴な犯罪者や、性的な変質者、生産性のある仕事をやる気のない存在たちのような他の犯罪者と判断したあらゆる者を送る場所が、なんと地球であった、という話です。
宇宙を支配していた旧帝国は、魂が自分が誰で、どこから来たのか、また誰が自分を地球送りにしたのかを思い出さないよう、地球へと送られた魂の記憶を消去し、肉体の中で何度も輪廻転生させるというシステムを作り出しました。
これが作られ始めたのは64兆年前のことだそうです。
「旧帝国」の階級制度の中で、税金を払う労働者として頭を使わない、経済的、政治的、また宗教的な奴隷状態に服従する気がない、またはそうすることができない者は誰であれ、記憶消去と地球での永遠に続く禁固刑の判決を下されます。
地球に送られた者たちの中には、非従順な「自由な発想」を持った者たちや、「旧帝国」の中でも問題を起こす革命児と見なされた魂たちも含まれています。
他にも「旧帝国」に対して、過去に軍事行動を起こした記録のある者、インテリや発明家とほとんどあらゆる分野の天才たちなどもいます。
なぜなら「旧帝国」が価値があるとみなしているものは、はるか昔、過去数兆年の中でもう既に発明されたり、創造されたりしているため、彼らにはこれ以上使い道がないからです。
他にも、腕の立つマネージャーたちもいるといいます。
これは、従順なロボットのような市民で構成された社会では必要とされていないからです。
芸術家や画家、歌手、音楽家、作家、役者などのあらゆる種類の上演者たちも含まれています。
その結果、地球の1人当たりの芸術家の割合は「旧帝国」の中の他のどの惑星よりも地球に多いといいます。
肉体が死ぬ時、魂は肉体から去りますが、旧帝国が設置した「バリア」によって感知され、捉えられ、催眠暗示で光に戻るように命令されます。
「天国」と「あの世」という概念は催眠暗示の一部であり、このメカニズムの全てを機能させている欺瞞の一部だと語ります。
それらは魂に錯覚させるための旧帝国が設置した舞台セットなのです。
もし魂がこのバリアを通り抜けようとすると、電子網の中にその魂を捕まえます。
捉えられた魂は記憶を消去するとても激しい「洗脳」治療を施されます。
このプロセスは、途方もない電気ショックを使用します。
まるで地球の精神科医が「電気ショック療法」を使って「患者」のパーソナリティと記憶を消去し、彼らをより「協調性のある人」に変えるように。
その記憶消去はたった一つの転生、または一つの肉体のものだけではなく、
それはほとんど無限に近い過去から蓄積された記憶の全てと魂のアイデンティティーの全てを消去します。
そのショックは、魂が自分が誰であるのか、どこから来たのか、自分の知識や技術、過去の記憶とスピリチュアルな存在として機能する能力を思い出すのが不可能になるよう意図されているのです。
一人一人の魂は、彼らが地球にいるのは特別な目的があるからだと教えられます。
しかし、牢獄の中にいることに目的などない―少なくとも囚人にはありません。
エアルは、過去にこの旧帝国のバリアを脱した人物が2人いると説きました。
それは、ブッダと老子でした。
私はこう考えます
当初は、地球という重力の重い星において、労働力としての肉体が必要だったのでしょう。 そうして、その時作られた人間は、彼らを生んだ存在にとって都合が良いよう、大元のソースからコントロールできるように、集合的なエネルギーの源へと接続されました。
スピリットにとっての肉体とは、私たちが洋服を着るようなものです。
寒い日にコートを着れば、ふわふわしていて気持ちがいいし、温かいですよね。
その感覚を楽しむために、スピリットは肉体に自由に出入りし、肉体感覚を楽しむことができました。
肉体は、人形、ドールボディのようなもので、決して肉体に支配されたり、コントロールされたりするものではなかったのです。
ところが、やがて地球は、エアルが語るように、近隣の星から捨てられた魂の強制収容所として使われ始めます。
近隣の星で体制に反する者、惑星の支配を脅かす者たちを連れ去り、閉じ込めるためです。
帝国主義のような絶対的な政府の管轄下において、自由を支持する者、自由に表現する者もまた、体制に反する危険人物だったのです。
魂は、肉体という牢獄の中に閉じ込められることによって、自己はスピリットであるという認識を失います。
また、それ以前に地球に連れてこられるときに、魂としてのアイデンティティや記憶を消去されています。
それは支配者にとって、誰が地球という牢獄に閉じ込めたのかを知られることは都合が悪かったからです。
また、彼らが本来の力を発揮してしまうのは、何としても避けなければなりません。
もし彼らが、本当は自分が誰だったのかを思い出し、自分の力を思い出したら、ここが刑務所であったことに気づかれてしまうからです。
そうしているうちに、あたかも自分は、他の人と変わらない存在だと思い込むようになりました。
自分は、肉体と共に死ぬ、有限な存在であると。
もし、あなたが死ぬことがなく、死ぬたびに記憶を失うこともなく、自己認識を持ったまま何兆年も生き続けたとしたら。
もし、ピタゴラスやモーツァルトやアインシュタインが何兆年も生き続けたとしたら。
どれだけ優れた発明や、どれだけ豊かな表現力や、どれだけ優れた精神が生まれているでしょうか。
地球の文明は、全く違った次元になっていたはずです。
肉体は、霊魂の牢獄。
実は先ほどご紹介したグノーシスにおいても、共通した部分が見受けられます。
グノーシス主義の世界観において、人間の住む物質世界は、悪の造物主「デミウルゴス」によって創造された不完全な世界であり、
人間の霊魂は本来、世界の外にある上位世界の「プレーローマ(充溢領域)」と呼ばれる場所の出身と説きます。
グノーシスでは、人間は本来、善なる至高神が司る天上世界を故郷としており、
これらを「認識」することで物質世界を脱却し、至高神の元へと還ることができるとされます。
つまり、人間の中の魂の出身は、この地球の外である天上世界ですよ、
この地球は故郷ではないですよと述べているのです。
グノーシスでは、現在我々が生きているこの世界を「悪の宇宙」あるいは「狂った世界」と見て、
原初には真の至高神が創造した善の宇宙があったと考えています。
私たちは、ただ罠にかけられ、騙されているのだと説きます。
そうして、この世界は、私たちを罠にかけるための幻想であると説くのです。
グノーシス思想は、肉体を「霊魂の牢獄」と解釈しており、
まさにこれは、先ほど述べたエアルの地球監獄説と非常に似通っているといえるでしょう。
グノーシス主義は、キリスト教の中でも異端視された宗派ですが、
魂を持つ人の中には、明確な理由がなくても、ここで語られていることが真実であると知っている人がいるのではないでしょうか。
どうしてここにきてしまったのか、本当の故郷はどこなのか、それを知りたいと思うのは、魂からの渇望なのです。
魂がない人がエネルギーを得る方法
魂がない人は、魂がある人からエネルギーを吸い取り、自分のものとすることがあります。 彼らは自分にはないエネルギーを、魂のある人から得ることで、個性化された魂、インディビジュアルソウルへの道を歩んでいると述べる人もいます。
「なぜか一緒にいると疲れる」「エネルギーが吸い取られている気がする」というのは、実は気のせいではなく、実際にエネルギーを吸われている場合があるのです。
特に、相手と目を合わせたとき、どっと疲れるような、魂が抜かれるような感覚があるかもしれません。
ただ一緒にいるだけならそれほど感じなくても、相手と意識が通じた瞬間、何かを持っていかれるような感覚があるかもしれません。
それは、無意識のうちに行われます。
他にも、人を威圧したり、人の上に立つことによって、相手のエネルギーを奪ったり、相手を思い通りにすることで、相手を消耗させる場合があります。
そうして、結果的に相手からエネルギーを奪っているのです。
私は祖母がこの威圧的なタイプでしたが、後になってそれが分かったとき、私と祖母はどこまで行っても分かり合えず、平行線だったことも妙に納得ができました。
私の祖母は非常に気が強く、威圧的でしたが、実は個性化された魂の持ち主の潜在能力が脅威であり、心のどこかで怯えていたのかもしれません。
また、彼らは非常に真似が上手く、魂がある人を上手にコピーして、あたかも自分が魂がある人であるかのように振舞うこともあります。
でも、究極的には両者は分かり合えることはないでしょう。
ユングは「集合的無意識」という概念を提唱し、人間の意識は、集合的無意識によって普段から交流しているということを述べました。
彼は、この集合的無意識は、個人の意識を超えて人類に共通して存在しており、私たち一人ひとりの意識は、そこで繋がっていると説いたのです。
これは、個性化されていない魂が接続しているエネルギーのプールと捉えることもできるかもしれません。
まさしく、大元でひとつに繋がっているのです。
そうして、肉体がなくなった後、人格部分はしばらく経ってから崩壊し、また集合的なエネルギーのグループへと戻っていくのです。
とはいうものの、これは個性化された魂がない人全員に当てはまるわけではありません。
非常に純粋で、人間的にも素晴らしく、人を癒す力がある方もいらっしゃいます。
魂が個性化されていくペットの事例
実は、非常に面白い事例があります。
動物、ペットの事例です。
人に育てられていない動物と、人に育てられているペットでは、明らかな違いがあります。
野生動物、つまり人に育てられていない動物は、グループソウルに接続されており、個性化された魂を持っていません。
動物においても、群れのボスとなるような気が強いタイプがいたり、気が弱くいつも怯えているタイプがいるように、個体に差があるのは、肉体側の遺伝子が異なるからです。
肉体の遺伝子は、生存競争において、種を絶やさないように、様々な個体が作られるようプログラムされています。
例えば、果敢で勇敢なタイプばかりだったら、川で洪水が起きたとき、みんなが川を渡ろうとして、群れ全体が流されてしまうかもしれません。
でも、臆病なタイプがいることで、川を渡らない個体がいることで、種全体の命をつなぐことができるのです。
ところが、人間に育てられた動物はそうではありません。
私が見たところによると、ペットとして育てられた動物は、不思議なことに個性化された魂へと近づいていくのです。
私たちは、彼らにとっては類いまれな経験を提供する立場であり、個別に愛情を受け、人のエネルギーに触れた動物は、野生の動物にはない、人格?
というか人ではないので、動物格?とでもいいましょうか、それを持ち始めるのです。
彼らは情感を持ち、人の心を理解し、意思疎通を始めるようになります。
このように、個性化された魂を持つ人と、そうでない人が交わり、交流することによって、
ともに学びを経て、最終的に個性化された魂へと進化することができると考える人もいます。
悟りとは何か?誰のためのものか?
私は、悟りや覚醒とは、死後の世界に天国の世界に行くこと、だとは考えていません。
エアルが述べている通り、死後の世界も結局のところ壮大な舞台装置の一部であり、
結局のところ、生も死も、この三次元マトリックスの中に囚われていることに変わりはないからです。
ブッダは、菩提樹の下で瞑想し、「再生することはなくなった。輪廻は尽きた」と解脱したという意味の言葉を語っています。
仏教は、生死を解脱する道をこそ求めます。
そして、輪廻の束縛からの解放を“解脱”として求め、生死を超えた世界を求めるのです。
これは、個性化された魂を持っている人に与えられた使命です。
私たちは、肉体の有限の命を超えて、自らの内に宿る神、つまりスピリットの永遠の命へと回帰する旅の途中にいるのです。
魂がある・ないことに優劣はない
ちなみに、魂が個性化されている人、個性化されていない人に優劣はありません。
個性化されていない魂を持っていない人が、スピリチュアルとは全くの無縁かというと、そうではありません。
彼らの中には、スピリットの道具となる役割を担い、それを全うしている人もいます。
実際、私の中には個性化された魂がありましたが、私が目覚めていく過程で、その魂は肉体から解放され、私は殻の器となりました。
肉体という牢獄から、私の中にいたスピリットは自由になることができたのです。
そうして私は、魂がない人の状態になりました。
最初の頃は、自分の中から高波動の発生源がなくなってしまい、洞窟の中に突き落とされた感覚でした。
一体どうなってしまうのだろうと、不安でたまりませんでした。
でも、そのおかげで、その空いた隙間に、いつもついていてくれていた高次のガイドが入ってくれたのです。
今では、瞑想を始めるとき、ヒーリングをするとき、彼らは私の中に入って、内側から言葉や力を授けてくれます。そうして私は、彼らの道具になったのです。
もし、私の魂が抜け出ていなかったら、こういったこともなかったでしょう。
魂がない人は、こうした高次の存在たちの道具になることもできます。
要は、あなたが何を決めるかです。
魂の目覚めと現実の変化
両者の違いを今日はご紹介しましたが、実際のところ、個性化された魂を持つ人であっても、
現在は眠っているため、個性化された魂がない人と同じようなエネルギー状態になっています。
だから、目覚めましょう。
目覚める以上に、人生において大切なものはありません。
ある女性は、30年以上慢性疲労症候群を患い、学校に行くことも、働くこともできず、
自宅でただ漫然と時間を過ごし、人生に絶望していましたが、彼女の魂が目覚め始めた瞬間、
彼女が輝きを取り戻し、体の状態も改善していきました。
ある女性は、定年間近であまり満足していない職場で働いていましたが、半ばあきらめていました。
ところが、どうしても手伝ってほしいと引き抜かれ、理想の職場へと転職が決まりました。
彼女の同僚は「なぜあなたが?」と面を食らっていたそうです。
ある男性は、定年を過ぎ細々と年金生活を送っていました。
ところが、その男性の才能を見抜いた人から声を掛けられ、たった1年で、それまでの年収の10倍以上の金額を手にしました。
これらは、魂が目覚めていく過程で実際に起きたものです。
魂が目覚めれば、現実世界のことなど朝飯前でしょう。
真実の向こう側、愛と平和な世界へ
瑠璃でした