心のきれいな人になるために:感情と向き合い、魂の本質に気づく旅

こんにちは、瑠璃です。今日は「心のきれいな人の共通点」についてお話します。

誰しも心のきれいな人になりたい、心のきれいな人に憧れる、もっと素晴らしい人間になりたいと思っていますよね。

でも、いい人間になりたいと思いながら、自分の心の中を覗いて「あぁ、私まだこんな思いを握りしめていたんだ」とか、イライラしたり、怒っている自分を見つけては落ち込むこともありますよね。

実は、覚醒の途中では、自分の心の中を見つめることが外せないポイントとなります。あなたの心のつかえを取り去り、あなたがピュアで澄んだ心でいることが、私たちの神との繋がりをもっと強めてくれるのです。

では、どのように私たちは本来の純粋な自分の心を取り戻すことができるでしょうか。私たちは、どのように本来のスピリットの姿へと戻っていくことができるでしょうか。

今日は
・自分の心の中にあるもの
・覚醒したいなら心を見つめなさい
・素直な心の先に、スピリットがやってくる
についてお話します。

今日の動画を見ることで、もっと自分が好きになり、明日からすがすがしい気持ちで毎日を過ごせるようになるでしょう。ぜひ最後までご覧ください。

 

心の中のお天気模様

今日は私たちの心についてです。突然ですが、今あなたの心はどんな空模様ですか?

晴天で雲一つないという方、曇り時々晴れ、という方、もしくはザーザー降りの雨模様という方もいらっしゃるでしょう。

毎日が楽しく、わくわくしていて快晴です、という方もいらっしゃれば、悲しみや苦しみの雨に打たれて、太陽の光も見えませんという方もいると思います。また、中には自分の心の中がどんなお天気だか分からないよ、という方もいらっしゃるかもしれません。

できることなら、心の中も毎日晴天で、雲一つないお天気だったらいいですよね。

 

心の悩みと共通の問い

実は最近、こんなお言葉をよくいただきます。

「私の心の中に、ものすごい怒りや、ものすごい嫉妬心があり、それを意識すると、自分がなんて悪い人間なのだろうと落ち込みます。」

「私は自分のネガティブな感情や、ネガティブな思いを消そうと、様々な宗教や学びをしてきましたが、結局、その思いはなくなりませんでした。」

「私の人を恨んでしまう気持ちがなくならなくて、こんな自分を嫌いになりそうです。」

誰もが心のきれいな人になりたい、人に優しくしたい、良い人間でありたいと思いながら、自分の中のネガティブな感情や、ネガティブな思いをどのように処理したらよいか分からずに困っているのです。

 

心を紐解く

心を分かりやすくするために、心には何があるのかを見ていきましょう。

心というのは抽象的な概念ですが、その中には私たちの感情や気持ち、私たちの思い、またこれまで学んだ知識や、意志などが含まれていると考えてください。

私たちは心なしではただの肉体になってしまい、心とは私たち人間を人間らしく振舞わせるものといえるでしょう。

心の性質は、大きく2つに分けられます。それが、ポジティブとネガティブです。

例えば、愛や希望、期待、信頼、感動などはポジティブ。
恐れや悲しみ、怒りや嫉妬、絶望、復讐心などはネガティブ。

このように、心の動きは大まかに分けてポジティブな感情やポジティブな考えと、ネガティブな感情やネガティブな考えに分けられます。

毎日愛や希望に満ち溢れて、未来はきっと良いことが起こると思っている人と、毎日怒りや苦しみを感じながら、どうせ自分には悪いことばかりが降りかかると思っている人では、明らかに心の状態は異なりますよね。

どちらが望ましいか、と聞かれたら、ポジティブな方が望ましい、とほとんどの人が答えるでしょう。

スピリチュアルに興味がある方の中には、スピリチュアルを突き詰めていくことによって、このポジティブな感情だけを感じて生きていくことができるのではないか、そう期待されている方もいるかもしれません。

でも、本当にそうでしょうか?

 

覚醒したいならネガティブな感情を感じなさい

覚醒したいなら、ネガティブな感情を感じる、と聞いて「え?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。

たいていのスピリチュアルの教えでは「ポジティブな感情を感じなさい」と言われるでしょう。「ネガティブなことを感じると、ネガティブな現実を引き寄せてしまう」と言われ、ネガティブな感情が恐ろしくなってしまった人もいるでしょう。

でも、ポジティブな感情は覚醒には役立たないと付け加えておきましょう。なぜか?覚醒においては、自分の恐れを知るプロセスが欠かせないからです。まさにこのプロセスこそが、覚醒へと向かわせてくれます。

私たちは、気づかないうちに、自分の恐れから、まさにその恐れている状況を自ら作り出しています。

 

恐れが現実を創る

例えば、私は「自分は能力がない」「自分は不十分だ」という恐れを抱き、実際にそれを痛感させられる状況を自らに招き寄せていました。

私が通う習い事や塾の先生は、ことごとく生徒に厳しく、人間味がなく、私は決して心からその場にいることに安心感を感じたり、認められたり充足感を感じることはありませんでした。毎日毎日、敗北感を感じて「あぁやっぱり私は能力がないんだ」「あぁやっぱり私はダメなんだ」と感じていたものです。

そうして、自分自身が自分を否定し、痛みを作り出すのとまさに同じように、社会や地球に対しても同じ痛みを作り出しています。

私たちは自分の痛みを通じて、より大きな状況において痛みを作り出すのに手を貸しているのです。

例えば、貧困について考えてみましょう。「まだ十分にない」「資源は有限である」、そう考えることで恐れが生み出され、もっと沢山手に入れ、奪い合い、争ってでも自分のために取っておこうとします。その結果、地球規模の資源獲得競争や、環境破壊が生まれます。

その出発点は「まだ十分ではない」という心の中の恐れです。

私たちは、自分の心にあるものを外側へ投影し、その恐れをまさに現実化させてしまうのです。

 

覚醒とは何か

つまり、私たちの外側の世界は、私たちにとっての鏡であり、外側の世界は私たちの内側が映し出されたものだったのです。

覚醒とは何なのでしょうか。覚醒とは、ネガティブな心によって自分自身の環境を作り上げ、さらに地球規模においてもその状況を作っていることに気づくことであるといってもいいでしょう。そうして、それに気づいたとき、自らの心の中を見つめ、整理しようとするでしょう。

ある女性は、夫が冷たく、話をするときも自分の目を見ず、自分に関心を持とうとしないことについて悩んでいました。でもそれは、「自分は愛されていない」という彼女の中の想いを見せてくれていたことに気づいたのです。

それに気づいたまさにその日の夜、地震でその女性が目を覚ますと、普段なら寝ている夫が目を覚まし、「大丈夫?」とわざわざ彼女の部屋まで様子を見に来てくれたそうです。

優しい態度の夫を見た彼女は驚き、「もし夫の態度を私の心が創り出しているとしたら、私が変わらなくてはならない」と思いました、と報告してくれました。

覚醒において、ポジティブな心は何の役にも立ちません。反対に、自分のなかのネガティブな心こそが、現実に気づかせ、覚醒を導いてくれるのです。

 

心の美しい人とは

私たちは人生において困難を経験することによって、自らの隠れた思い込みの嘘や心の傷に気づくことができます。外側の世界に恐れや痛みを見ることによって、まさに自分の内側にある恐れや痛みに気づくことができるのです。

心が美しい人とは、自分自身に嘘をつかない人だと思います。

私が思う心が美しい人とは、怒りや苦しみ、嫉妬心などを感じない人ではありません。ネガティブな気持ちにならない人や、ネガティブな思いを抱かない人でもありません。

私が思う心が美しい人とは、自分の感情に素直な人です。

自分の中のポジティブな気持ちにも、ネガティブな気持ちにも気づいており、それでいて、否定することもジャッジすることもなく、自分の全てを見ようとしている人です。

私は「良い人間になろう」「親切な人間になろう」「心がきれいな人間になろう」と、ネガティブな気持ちを押し殺し、閉じ込めている人を良く見かけます。そういった方に限って、家族関係でトラブルを抱えていたり、慢性的な不調を抱えていたりします。

本来あるものを隠そうとすると、どこかにしわ寄せがきてしまうものです。

自分の気持ちに何重にも蓋をして、良い人間になろうと、また無難に振舞おうと、世間に合わせようと、自分の性格を改造し、結局本当の自分を見失ってしまった、そういった方がとても多いのです。

 

本当の自分を生きるために

結局のところ、本当の自分でいなければ、生きていることにはなりません。

私たちの感情が、ポジティブからネガティブへ、ネガティブからポジティブへ揺れ動くのは当たり前のことです。

私たちは、悲しいときには泣き、自分を粗末に扱う人には怒り、あまりに常識から外れた人には嫌悪感を抱くでしょう。もし私たちが怒りを感じなければ、自分を守ることもできません。ネガティブな感情がなければ、自分の意見を主張したり、自分を守ったりすることもできないでしょう。

心がきれいな人とは、そういった心の天気の移り変わりに対して、目を背けることなく、その一瞬一瞬を見てあげられる人のことをいいます。そうして、その一瞬一瞬の天気の移り変わりを、今ここで体験している人です。

心が曇っている人は、3日前の大雨を、快晴になった今でも感じています。3年前の大雨を、今ここでも感じているかもしれません。

もうすでに、場面は移り変わっているのに、心の中では過去を感じているのです。すると、まるであなたの回りを暗雲が立ち込めるように、あなたのオーラが滞り、薄暗くなり、流れが悪くなります。

今ここを感じられていると、あなたのオーラもきれいに流れ、いつもその流れは維持されたまま、明るく澄んでいます。今ここを感じるとは、今の天気をありのまま感じているということです。

 

自分に素直になる

ここまで聞いていただいて、「じゃあ瑠璃さん、『人を傷つけたいとか、痛めつけたい』とかいう人はどうなんですか?」とおっしゃる方がいるかもしれません。

人を傷つけたいと思う人は、結局のところ、自分自身をも傷つけているのです。先ほど私たちは、気づかないうちに、自分の恐れから、まさにその恐れている状況を自ら作り出しているとお伝えしましたよね。

相手を攻撃する人は、心の中では自分自身をも攻撃しているのであり、相手をジャッジする人は、自分自身のことも心の中でジャッジしているのです。

ですから、素直に自分の心に聞けば答えが返ってくるでしょう。

自分の心に素直になり、自分に正直になることで、私たちは自分自身の中で本当は何が起きているかを自ら知ることができるのです。

きれいな心のその先へ

最古の仏典のひとつとされる『スッタニパータ』には慈悲の章があります。

仏教、特に大乗仏教では、慈悲が智慧と並んで中心的なテーマとなっており、慈悲は初期仏教においてすでに説かれていました。

『スッタニパータ』にはこうあります。

あたかも母が己の独り子をば身命(しんめい)を賭けて護るように、一切の生きとしいけるものに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。全世界に対して無量の慈しみの心を起こすべし。
並川孝儀『スッタニパータ ―仏教最古の世界』岩波書店

 

慈悲とは魂の性質

慈悲、慈しみをもっとシンプルに言えば、愛といってもよいでしょう。

これらは心を超越しています。心の性質を超えたところにあります。それは、どこか?魂です。

愛や思いやりはスピリットが持つ性質です。

スピリットとは、魂としての私たち、つまり肉体という物質ではなく、形のないエネルギーとしての私たちのことです。

私たちは、肉体ではなく、また心でもなく、本当は形のないスピリットです。スピリットは、愛によってこの世界を創造し、愛によってこれらの体験を作り出しました。

この愛とは、好き嫌いの特定の男女間の愛や、自分のために愛するという利己的な愛ではなく、結果を期待せず無条件にあふれ出す愛です。それは慈しみや思いやりという言葉に似ているでしょう。

 

魂としての目覚め

もし、魂も含めて心と捉えるのであれば、心がきれいな人とは、人格を超えて、魂としての自己に目覚めている人のことを言うのだと思います。

覚醒のプロセスでは、必ず自分のネガティブな側面と向き合う段階がやってきます。そうして、ネガティブな思いが現実を創造していたことを知り、そのネガティブな思いの根源に向かおうとするでしょう。

これはとても苦しいプロセスであり、多くの人が目を背けてしまうプロセスです。

でも、それを通過することによって、私たちは本来の自己であった魂へと戻っていくことができます。

すると、あなたが何も努力しなくても、例えば良い人間になろうとか、人に優しくしようと意識いなくても、自然にあなたの中から思いやりや優しさといった性質があふれ出すのです。

仏教などが述べている「慈悲」や「慈しみ」とは、魂が持つ性質の一つであり、つまりは魂へと戻りましょう。「あなたは肉体ではないことを思い出しましょう」と本当は伝えたいのかもしれません。

 

心がきれいな人の特徴

ちなみに、心のきれいな人の特徴、つまり魂が目覚めている人の特徴を挙げるとするならば、「波動が高い」でしょうか。

私たちがスピリットへと戻っていく過程で、重く沈んでいた波動が軽くなり、オーラも拡大していきます。

肉体と一体化している時、波動は重く、どんよりと感じられます。やがて、魂が目覚め始め、魂へ重心が移っていくと、魂の波動、つまり物質ではなくスピリチュアルなエネルギーが拡大していきます。

オーラは肉体から外側へ拡大していき、たとえそれは実際に会っていなくても、画面越しにでも感じられるでしょう。実際に、瞑想をしていると、オーラが拡大していくのが感じられます。

自分の心に正直になることが、結果的に覚醒へと導いてくれるのであり、その中ではどんな些細な心の動きも見逃すべきではないのです。

そうして、どんなに悪天候の日が続いても、自分を責めず、自分に寛容でいていただきたいと思います。それらは、あなたへ絶えずサインを送ってくれているのですから。

 

自然体でいることの大切さ

ということで今日は「心のきれいな人の共通点」についてお話しました。

私は、正直さというのがとても重要な素質なのではないかなと思っています。素直な人や裏表がない人は、いつも自然体で余分な力が入っていなくていいですよね。

私は、いつも力が入っている時は、相手の期待通りの自分になろうとしている時であったり、自分が決めた理想の自分になろうとしている時だと感じています。

もっとみんなが自然体でいたら、その場も和みますし、もっと良いものが生まれるように感じるのですよね。

でも、意外に自分の心に素直になるって難しいことだと思うのです。

私の場合は、最近うまくいってるな~と思うと、また自分の思い込みを突き付けられる出来事が起こって……というふうに、周りの出来事に気づかされることが多いです。

慣れてくると、物事には本来良いも悪いもなく、そのたびに落ち込む必要がないと分かるのですよね。

 

一緒に成長を続けましょう

このブログを見てくださっている方は、とても意識が高くていらっしゃると思いますので、きっと成長スピードも人より早くていらっしゃるでしょう。

これから先も役に立つ記事を投稿していけたらと思いますので、これから先もぜひ一緒に頑張りましょう。

それでは、今日も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

真実の向こう側、愛と平和な世界へ。
瑠璃でした。