あなたの目が語る真実:覚醒した人々の輝きの秘密

こんにちは、瑠璃です。
今日は、覚醒している人の見た目の特徴についてお話します。
覚醒していく過程でどのような見た目の変化があるのか気になりますよね。
今日は、覚醒の過程で起こる分かりやすい変化についてお話します。
ぜひ最後までご覧ください。
覚醒している人の特徴その①:いきいきとした表情
本当の自分で生きている人の表情は、生き生きとしていて、肌は透明感があり、血色が豊かです。
本当の自分で生きていくようになると、見た目が明らかに変わったり、まるで別人のように表情が変化することがよくあります。
なぜでしょうか?
ある女性は、同棲していた男性から暴力を振るわれながら「私が悪いから」と思い込んで、2年間別れられずにいました。しかし、彼女は自分を大切にすることを決意し、自己犠牲をやめ、荷物をまとめて家を出ました。彼女はずっと憧れていた海の近くに移り住み、周りの人から「表情が優しくなった」「目がキラキラしている」と言われるようになったそうです。
実は、彼女は彼と同棲していた頃、まるで表情がなくなったかのように、笑えなくなっていました。ふと思い返して当時のアルバムを見返してみると、1枚も笑っている写真がないことに気づき、愕然としたそうです。
心の痛みが見た目に及ぼす影響
私たちは誰でも、心の痛みを抱えながら生きています。そして、この痛みが顔、体、肉体そのものに大きく影響するのです。しかし、それはどのようにして起こるのでしょうか?
悲しみを抱え続けることは、ものすごいエネルギーを費やします。もし泣きたいのに、その衝動をずっと抑えていたら、それは非常に大変です。自分の中を動き回る巨大なエネルギーを抑圧し、隠しておくためには、非常に大きな力を必要とします。
例えば、100メートル走を全速力で走っている途中に、突然「止まりなさい」と言われたら、急ブレーキをかけるには相当な力が要りますよね。また、あなたが歩いているとき、真正面から強い突風が吹いてきたとしたら、進む力と突風の力が釣り合うほどの抵抗を感じるでしょう。このように、私たちが自己の悲しみを抑えるためには、それと同じくらいの大きなエネルギーを使っているのです。
しかし、覚醒することで、その抑圧から解放されます。人によっては、それが悲しみではなく、怒りの場合もあります。
動物と人間の防衛本能
動物は捕食動物に襲われそうになると、息絶えたふりをして捕食を免れます。この行動は、命を守るだけでなく、強い恐怖からくる内面の崩壊を防ぐためでもあります。こうして恐怖を感じると、体内で生じる生理反応は、まるで死んでしまったかのような状態になります。
一方、人間の場合、放出しきれなかった恐怖や怒り、圧倒された衝撃は体に蓄積され、やがて慢性化します。それらは体に「構造化」されるのです。この構造化された痛みは、無意識下に潜り込み、やがて意識的には忘れ去られてしまいます。しかし、体は忘れていません。
例えば、ある5歳の女の子が、散歩中に母親が暴漢に襲われる場面を目撃しました。この女の子自身に被害はありませんでしたが、心の中で「こんなことはありえない、何かの間違いだ」と感じ、強い恐怖を抱えていました。
また、暴力を振るう父親とヒステリックな母親と暮らしていた男の子は、その生活を耐え抜くために自分の感情を切り離しました。その結果、彼の体と頭はバラバラになり、硬直した体で制限された人生を送るようになりました。彼は感情を抑え込み、頭の中だけで生きるようになってしまったのです。
恐怖が筋肉の緊張を引き起こす
こうした痛みが引き起こすのは筋肉の緊張です。自己表現を制限する筋肉の緊張の結果、ますます自己の身体を自由に動かし、自己を表現し、感情を自由に表現することができなくなるのです。
身体は硬直し、運動は機械的になり、体を通じた快楽や充足感を感じることができません。したがって、体は鋼(はがね)のように固く、石のように重く、氷のように冷たくなります。
硬く冷たくなった体には十分血流はいきわたらず、細胞は栄養不足に陥ります。これらは、筋肉の凝り、冷え、体のこわばりなどに繋がっていきます。
筋肉の表面を覆っているのが筋膜です。筋膜は筋肉だけではなく、内臓や血管、神経も包んでいます。筋肉が慢性的に収縮していると、筋膜にも影響が及び、当然神経系などにも影響が及びます。
リラックスすれば、この緊張は解けていきますが、そもそも緊張していることにすら気づけないことがほとんどです。例え緊張していることに気づいたとしても、もう一度そこにエネルギーを流せば、押しとどめていた感情を感じなければなりません。
いつもしかめっ面をしていたり、いつも顔をこわばらせている人は、もし緩んでしまったら抑えている感情が漏れ出してきてしまうという恐れと内面で戦っているかもしれません。
あまりに強烈な感情を抑圧した場合、その攻撃性や衝動性は自分自身の内側へと向けられます。これらは、不安症やうつ、PTSDなどとして現れます。
そして、抑圧すればするほど、突然抑圧したエネルギーが噴出し、暴力をふるったり、気が狂ったような行動をするのではないかと恐れ、再び抑圧状態へと戻るのです。
やがて感情を感じることをやめ、自らを凍り付いた状態に囚われてしまうと、まるで能面のような表情のない顔になっていくでしょう。いずれ、本当の顔を忘れ、硬直した表情こそが自分だと錯覚しはじめます。
肉体に見る内側の世界
目に見えない世界と、目に見える世界は完全に切り離されていると思いますか?目に見えない、私たちの恐怖や怒りが、目に見える肉体という物質に影響を及ぼす。これは明らかな事実であり、医学でも一般的に知られています。
人は、この心理的な痛みをストレスといい、ストレスは万病のもととして知られていますよね。
ストレスが関係する病気には、次のようなものがあります。
・過敏性腸症候群
・円形脱毛症
・緊張型片頭痛
・慢性腰痛
・脳卒中
・心筋梗塞
・うつ病
・適応障害
また、国立がん研究センターでは、長期間にわたる自覚的ストレスは全がん罹患のリスク上昇と関連しているという調査結果も発表されています。
つまり、顔や体という肉体は、私たちの見えない心と密接に繋がっており、心が緩めば、表情や体も緩んでいくのです。
覚醒している人の特徴その②:澄んだ光り輝く目
本当の自分で生きている人は、澄んだ光り輝く目を持っています。
私たちが行う意識的な表現には、体の動き、発声、そして目の表情の3つがあります。私たちは感じたことを、声に出して言葉で表現したり、時には歌にのせて表現したり、身体を動かして表現したり、目で相手に訴えかけます。
例えば、悲しみを感じれば、目には涙が浮かび、鳴き声を上げ、体は身悶えします。怒りを感じれば、目は吊り上がり、声は張り上げられ、体は震え始めるでしょう。この3つのどれかひとつでもブロックされてしまえば、感情表現は不完全なものとなってしまいます。
この中でも特に顔に関連するのが「目」です。目は身体の窓と言ってもいいでしょう。特に目は「魂の鏡」と言われることもあります。
男女の目が出会うときには、たとえそれがどんな感情であっても、まるでテレパシーのようにお互いを一瞬で理解します。覚醒している人の目には表現力があり、目ひとつで笑っているのか、怒っているのか、それとも無関心でいるのかが分かるでしょう。本当の自分で生きている人は、澄んで光り輝くいきいきとした目をしています。
反対に、自分の感覚と肉体、頭が切り離されている人は、空っぽで遠くをぼーっと見つめている目をしています。うつろな目をしている人は「ここにいない」という感じがし、内面の空虚感を感じさせます。彼らは目を動かし、目で物を見ますが、目でコンタクトを取ろうとしません。
アイコンタクトは、親子関係で特に重要です。母親からのアイコンタクトが温かく、やわらかで、優しいものであれば、子供もこのまなざしに心地よさで応え、その目はやわらかくリラックスします。
ところが、母親からのアイコンタクトが強い怒り、憎悪、冷たさであれば、子供は特に目にショックを受けます。
本当の自分に戻っていく過程で、私たちは小さいころに受けたショックを癒し、その傷を修復し、生まれたままの純粋で自分らしくいた頃の意識へ戻っていくのです。
人生の途中でどんなに辛い経験をしていたとしても、私たちは本来のキラキラ輝く澄んだ目へと戻っていくのです。それはまるで動物のように好奇心旺盛な目に見えるかもしれませんし、天使のようにまるで別世界からこちらを見ているような目として表現されるかもしれません。
覚醒している人の特徴その③:強い目
自我が確立しており、強い自我を持っている人は、他の人の目をまっすぐに臆せず見つめる能力を持っています。他の人の目を見つめることは、確立した自我や自己主張のひとつの形態です。
ではここで質問です。覚醒するごとに自我は失われていくのでしょうか?
覚醒に比例して、自我は失われていくともいえるし、自我はさらに確立していく、とも言えます。もし自我を「個としての存在、エゴ」と捉えるのであれば、高次の領域へと重心が移動していくにしたがって、自我は失われていきます。魂の世界へ近づけば近づくほど、肉体に紐づいている自我は失われ、魂へと重心をバトンタッチしていくのです。
一方、もし自我という言葉によって、世界と関わり、現実を客観的に見つめる能力を指すのであれば、自己は強固なものとなっていきます。そして、自我を私たちの肉体や高次の世界といった様々な階層を統合し、融合していく能力と捉えるのであれば、そこでもまた、自我は覚醒の過程でより強固なものとなっていくのです。
本当の自分で生きている人はエネルギーにあふれています。なぜなら、本当の自分で生きるために、人から隠すことも、自分から隠すことも、抑圧する必要のあるものもないからです。オープンで、ありのまま、ただそこに存在しています。
エネルギーが全身にチャージされ、特に目にもエネルギーが強くチャージされると、目は光り美しく輝きます。目のエネルギーがどれほど充実しているかは、自我の強さの指標です。強い目は、自己信頼、ありのままの自分でいることへの自信を表します。
ところが、焦点を合わせる力が弱く、視線を合わせるのが難しい人もいます。他人と目を合わせることができても、戸惑い目をそらしてしまうのです。
これらは、自己の内側の葛藤、自己不信、自己否定を表します。本当の自分を受容していく割合にしたがって、改善していくでしょう。
限界を知ることは人を強くさせる
私たちの文化では、「強さとは耐えることである」「辛くてもそれでも立ち上がるのが英雄である」といった風潮があります。
生き延びることを優先した結果、社会に大きな犠牲を強いることになってしまいました。ただ耐えることに、本来の自分と解離した生き方を続けることに、何の意味があるのでしょうか。
人は、自分の限界を認めたがりません。「私はきっと耐えられる」「私はこの悲しみにも打ち勝てる」と思います。しかし、明らかに私たちが耐えられるものには限度があります。
あまりに圧倒されてしまったとき、私たちはまるで時間が止まったように、その場で凍り付きます。その結果、身体の中の動き回るエネルギーが一瞬にして神経系に閉じ込められます。やがてそれらが放出される代わりに、恐怖や怒り、無力感を肉体の中に閉じ込めたまま生き続けるのです。
私は、自分の限界を認めたとき、初めて人生が好転しました。自分の手では到底及ばないような、自分一人の力では変えられないものが存在します。
私は、様々な感情に耐えられると思っていましたが、無理でした。全てのベールを剝ぎ取った時、もろく、壊れやすく、傷つきやすい自分がそこにいたのです。
そして感情に無理に抵抗することも、やめました。感じてはいけない感情などなく、また感情と戦う必要もないのです。
癒しのその先へ
苦しみを抱えた人が癒されていく過程は、単に心身が癒されていくだけではなく、変容を意味します。変容とは、自分という存在そのものの認識が変わっていくことです。
変容の過程では「自分は何者なのか」という疑問にも答えていかなければなりません。自分が誰なのか、その自己認識が変われば、自ずと何を体験するかが変わります。
本当の自分で生き始めると、あなたの顔つき、表情、体つきに変化が訪れるでしょう。体は年齢と共に固く、不自由になっていくと思われがちですが、それは決めつけです。
これまで本当の自分で生きていなかった人は、むしろこれから先、柔軟ないきいきとした体を取り戻し、今までにないほど健康になっていくでしょう。
自分を癒すためには、自分の身体の声を聴かなければなりません。そして、それはあなたの心の声、魂の声でもあるのです。
身体は癒し手であり、トラウマの心理的傷跡はもとに戻せますが、それは身体の声に耳を傾ける場合に限られる
-S・W・ポージェス Ph.D.
まとめ
ということで、今日は、覚醒している人の見た目の特徴についてお話しました。
私は普段ヒーラーとして、様々な方の変容の過程を拝見させていただいているのですが、この心と体の繋がりは本当に大きく、皆さん変容に従ってどんどんお綺麗に、お若くなっていかれます。これはお世辞でもなんでもなく、誰もが口を揃えておっしゃっています。
自然体で、自分を愛している人の美しさは本当に素敵だなと思います。それは自己を受け入れた人の美しさであり、自己が自己を超えた存在を表現する器であることを知っている人の美しさなのでしょう。
まるで別人のように変わっていくその変化には、本当に驚かされることが多々あります。そう考えると、人間の可能性って無限だな~と思います。
ちなみに私は、都会から田舎に引っ越したときに一番驚いたのは水の違いでした。お風呂などで使う水が変わったことで、お肌がすべすべになったことには本当にびっくりしました。私にとっては、環境もすごく重要な要素でしたし、自然の近くに住むことのありがたさを実感させてもらった瞬間でした。
ぜひ、あなたの変容のエピソードもコメント欄で教えてくださいね。今日の記事のコメントもお待ちしております。
真実の向こう側、愛と平和な世界へ 瑠璃でした。