魂の地図:ハイヤーセルフとつながるためのガイドブック

ハイヤーセルフへとアクセスする方法

こんにちは、瑠璃です。

今日は、ハイヤーセルフへとアクセスする方法ということで、あなたが魂の記憶へアクセスし、思い出すための話をします。

あなたは、魂が過ごした世界がどんな世界だったのか知りたいと思ったことはありませんか?
果たして、私たちがイメージするような光の世界なのか、それとも私たちが今見ている世界の延長線上なのか。

私たちが本当は誰だったのかを思い出すにあたって、あなたが昔過ごしていた世界のイメージを捉えることができれば、あなたのスピリチュアルな旅も加速するでしょう。

今日は、
・私たちの常識を反転させる
・知覚できないものを知覚する
・五感を超えた世界を捉えるために
についてお話していきます。

今日の記事は、あなたの魂が生きていた世界の感覚を取り戻す助けになるでしょう。
今日の記事を読むことで、魂が昔過ごしてきた感覚が蘇ってくるかもしれません。
ぜひ最後までご覧ください。

私たちの常識を反転させる

私たちが普段見ている世界、それは五感に制限されています。
五感とは、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚ですが、私たちは目の前の波動を目で見て、耳で聞いて、触って解釈しています。

私たちは、形と音は別物だと思っていますよね。
例えば、私たちが目で見る波と、波の音は別物ですよね。
が、そうではありません。形は音であり、音は形であり、それらは本来同一のものなのです。

この辺りは後程詳しく説明していきます。

さて、今日のテーマであるハイヤーセルフとは「高次の自己」と呼ばれますが、私は「魂」と同義であると捉えています。

ハイヤーセルフと言われても、想像もつかないという方が多いですよね。
ハイヤーセルフがピンとこない理由、それはハイヤーセルフがあなたの意識、つまり今あなたがブログを読んでいる意識とは別だからです。

あなたは地球で生まれ、名前を持ち、この数十年間生きてきました。
例えば、昨日どこで誰と過ごしたかというのは、自分のことですから、記憶喪失でもない限りスラスラと思い出すことができますよね。

ところが、普通私たちはハイヤーセルフ、つまり魂の記憶へアクセスすることはできません。
アクセスできるとすれば、特殊な環境――例えば過去生を見るセラピーを受ける時や、深い瞑想状態の時に限られるでしょう。

まず前提として、ハイヤーセルフ、つまり魂には肉体がありません。
それらは純粋な意識であり、物質化していないエネルギーです。
その意識には、まるで図書館に本がいくつも並んでいるように、様々な記憶が蓄積されています。

その本の一つ一つには、それぞれの転生で得た歴史が書かれていますが、肉体側の意識から見れば、その本のうち今世に関して書かれた本1冊にしかアクセスできないのです。

もしくは宇宙の別の星から来た場合には、数冊の本と、何冊もの本が合体したような分厚い本があるかもしれません。
他の星では、地球のように生まれ変わるという概念はなく、自己認識を持ったまま何千年も、何兆年も生き続けることができるからです。

それでは、私たちがもし肉体を脱ぎ捨てたら何が待っているでしょうか?
ちなみに、この中に肉体を脱ぎ捨てた体験をした方はいらっしゃいますか?

肉体を失った経験がある人の一つに、臨死体験者が挙げられます。
死後の世界には、肉体を持っていくことはできません。
ですから、肉体がない時の感覚といったものが体験されるのです。

臨死体験者の多くは、
視界が360度開けていて、自分の後ろの方まで見渡せたと語ったり、向こう側の世界を荘厳な光や波動でできた世界と語ります。
天上の光が見え、天上の音楽が聞こえますが、それらは別物ではなく、見える光と聞こえる音楽は一体であり、まるでひとつのものが色としても見え、音としても聞こえたように感じると述べているのですね。

その光は地上で見たどの光よりも明るく、さらにそこでは時間も空間もないと語ります。

この死後の世界の話は多くを暗示していて、肉体を脱ぎ捨てた際にどんな世界が待っているかについて、大きな示唆を与えてくれるでしょう。

私たちの肉体の制限と波動の世界

肉体を持っている以上、視覚と聴覚は別物です。
例えば、あなたが海にいるとします。目をつぶれば視覚が制限され、波の音だけが聞こえ、耳をふさげば聴覚が制限され、波の色や形が見えます。

でも肉体を脱ぎ捨てた際、私たちにはもはや脳も感覚器官もありません。
残るのは何でしょう?――それは、私たちの「意識」です。

臨死体験者や体外離脱経験者が語るように、私たちは肉体を脱ぎ捨てた時、意識そのものになります。
死後の世界を体験しているのは、この純粋な意識なのです。

意識とは、色も、形も、音も、波動を解釈した結果に過ぎません。
ですからスピリットの世界、つまり魂の世界とは、波動の世界に近いのです。

まずこの肉体が持つ限界を悟ること。これこそが非常に大切なポイントです。

知覚できないものを知覚する

それでは、肉体を持っている私たちが、肉体の無い世界を体験するためにはどうしたらよいのでしょうか。

そんな風に思ったとき、ガイドが示してくれたのはあるイメージでした。
まるでトンネルのような、強いて言うならばディズニーランドのスペースマウンテンのような感じでしたが、それと大きく異なっているのは、こちら側が一切動くことなく、その風景が目の前を通り過ぎていくという点でした。

まるでそれらは私たちを包み込み、飲み込む、生きているような実態のある存在のようでした。
息を吸うように周りの風景がめくるめく流れていき、その瞬間、目の前に新しい景色が広がります。
それをあなたが体感しているとすれば、自分の中に確かに自己を感じ、あなたという存在の光は、あなたの思うより何倍も大きく感じられます。

その景色に包まれた瞬間、私は突如として不思議な感覚に襲われました。
三次元の知覚がフェイクであり、その世界の感覚こそが実態であるような感覚を感じたのです。
まるで不思議の国のアリスのような不思議な感覚でした。

三次元世界では、動くのは私たちの方で、背景が動くことはありませんよね。
私たちは空間の中を絶えず動き回っていて、移動するのは私たち側であり、空間の方が移動することはありません。

でも、あちら側の世界では逆でした。
私たちは一切移動することなく、周りの風景が変わっていく。
まるでそれは私たちの意図に添うかのように変化していくようでした。

私が体験したのは、自分の意図、私の思考が目に見える世界を動かしているような感覚です。
そうして、何かを思った瞬間、目の前の景色が変わっていくのです。

例えば、現実ではこれがいかに考えづらいことかが分かるでしょう。
例えばあなたは海にいて、目の前に海を見ているにもかかわらず、次の瞬間、その海が山になったり、月になったりするのですから。

どうやら、スピリットの世界は、私たちが心に抱くイメージに近いようです。
それらは私たちが目で見る物理的なものや形ではなく、心の中で自由に描くお絵描きのような感じです。

ちなみに、臨死体験者が語るもうひとつの面白い点としては、質問を投げかけると、すぐさまその答えが分かる、というものです。
自分が見当もつかない質問を思い浮かべた瞬間、一瞬にしてその答えが理解できるのだと語る人もいます。
さらに、この感覚が「思い出す」ことに近いと述べる人もいるのですが、魂が数えきれないほど長い年月をかけ蓄積してきた記憶にアクセスしていると考えることもできるでしょう。

他の存在とコンタクトを取る方法

先ほどの話には、続きがあります。
私は、移り変わっていく風景を見ている最中、他の存在たちはどこにいるんだろうと思いました。

すると左上に光が見えました。
その光が自分の中に入ってきたのです。
まるで、その存在が自分の内側にいて、内側でその存在とコンタクトを取っているようでした。

この経験から、私は「内と外は反対なのでは」と思うようになりました。
私たちが内に見ている世界こそ、スピリットが見ている世界である、ということです。
内側と外側は反対、なのです。

肉体がない世界を、肉体を通じて知覚したものを元に語ることは不可能です。
なぜなら、私たちが今心の中に思い描くイメージはすべて、肉体の目や耳を使って得た情報だからです。
それらは世界を断片的にしか捉えることはできず、かえってそれが先入観となってしまい、魂としての記憶を思い出す足かせになりかねません。

私たちが、この三次元世界での経験をもとにハイヤーセルフとアクセスしようとすると、かえって真実が受け取れなくなってしまう可能性があるのです。

私は、ガイドたちが地球上で転生した時の姿を鮮明に見ることがあります。
例えば、教会の周りを歩き回っている修道女のような服を着た女性。
彼女は花が好きだったようで、教会の中庭には色とりどりの花が植えてありました。

別のガイドは、温かみのある色のスーツを着た男性として、大学のキャンパスのようなところを歩いていました。
どうやら彼は化学か何かの研究者のようでした。

このように肉体の目を通じて見た風景は、捉えやすく感じるでしょう。

ところが、彼らが地球にやってくる前については、全く話が違います。
それは、より鮮明に知覚するのが難しく、全くスケールの違った話と言ったらよいのか、地球上のイメージのどれをもってしても、正確に捉えることは難しいと感じます。

彼らは光であり、波動であり、その中に個性はあるものの、それを私たちが普段目に見える形に置き換えるのは難しく感じてしまうのです。

言葉で明確に語ることができなくても、その感覚は私たちの中に染みわたり、それらは私たちの現実の定義を丸ごと変えてしまうでしょう。

五感を超えた世界を捉えるために

ここまでのお話で、スピリットとしての記憶を追体験するには、この五感では歯が立たないということが出てきましたよね。
ではどうすればよいのか?ですが、私たちはそれらを心の中のイメージとして受け取ることができます。

それらはあなたの想像ではありません。
心をまっさらにして、その感覚を受け取ろうとしてみてください。

目で見たり、耳で聞こうとしないでください。
そうして、先入観なく、できればこの地球でこれまで経験してきたものをすべて忘れた状態で受け取ってください。
ここで必要なのは、ただ体感することです。

ここで私の好きな『エイリアンインタビュー』から一説をご紹介しましょう。

この本では、道教を書いた老子は、自分の命の本質を熟考し、自分の過去生を思い出した。
そうして彼は自分の記憶と能力、また不死の一部を取り戻し、輪廻転生から抜けたと述べられています。

彼が肉体から去るため、村から離れ、森に行くことを決めました。
すると、村の門番が彼を呼び止め、彼の哲学を教えてくれと頼んだのです。
そのときに彼が与えたとされる助言がこれです。

「それを見ようとする者は見ることはないだろう;
それを聞こうとする者は聞くことはないだろう;
それを掴もうとする者は掴むことはないだろう。

その形のない無の存在、動の不動の源を。
スピリットの無限の本質が命の源である。
スピリットは自己である。

壁は部屋を作り上げ、支えるが、
それらの間の空間が最も重要である。
壺は粘土で形作られるが、
その中に形成される空間が最も有用である。

行動とは、無が何かに影響した結果である。
スピリットの無があらゆる形の源であるのと同じように。

人が大きな苦痛で悩まされるのは、体を持っているからである。
体がなければどのような苦痛に悩まされることができるのか?
人が自分のスピリットよりも自分の肉体を大切にすれば、
人は肉体となり、スピリットの道を失ってしまう。

自己、スピリットが幻想を創造する。
人の妄想とは、現実は幻想ではないというものである。
幻想を創造し、それらは現実より本物であるとする者がスピリットの道に従い、天の道を見つける。」

ローレンスR.スペンサー,『エイリアン・インタビュー』,2010, P123、P124

さて、幻想なのは、心の中の景色の方ですか?
それとも目の前の現実ですか?

私たちは、どこへ戻ろうとしているのでしょうか?
あなたが幻想だと考える、そちらの世界こそがスピリットにとっての真実かもしれないのです。
だから、あなたの幻想だと切り捨てないでください。
あなたの想像だと切り捨てないでください。

私たちの認識を切り替える時が、来ているのです。

ということで今日は、ハイヤーセルフへとアクセスする方法ということで、あなたが魂の記憶へアクセスし、思い出すための話をさせていただきました。

スピリチュアルな道の過程では、自分の妄想なのか、それとも何か特定の記憶を思い出しているのか、それともそれらがスピリチュアルな存在たちからのメッセージであるのか、分からなくなることもあるでしょう。

いずれにしろ、それらはただ肉体の目で現実を見ているよりも、よっぽど良いのではないかと思っています。

私は、三次元世界に浸っていると、すぐに目の前のことに夢中になり、頭はフル回転し、先のことを考え始めてしまうので、一瞬にしてしんどくなってしまうことがあります。

でも、こんな時に、例え一瞬でも魂の記憶にアクセスしようとすると、全く別世界に旅をしたような、ほぐれたような感覚になり、なんともいえないリラックス感に包まれます。

これって逃避でしょうかね、、
そんな時もたまには必要。

ということで、今日はこの辺にしておきます。

今日の記事を見ていただいて、気づきなどがあれば、ぜひコメント欄を利用してくださいね。

ということで、またお会いしましょう。

真実の向こう側、愛と平和な世界へ。
瑠璃でした。