感情を解放して健康を取り戻す方法~癒しの鍵は内なる声~

こんにちは、瑠璃です。
今日は、病気の本質的な癒し方についてお伝えします。
長年肉体的な悩みを抱えている方や、速く痛みや違和感から解放されたい方、また、なぜ病気になったのかその意味が知りたい方がいらっしゃると思います。
これまで、事故や怪我、病によって方向転換を余儀なくされた方も、「どのようにして受け止めたらいいのだろう」と思われることがあるでしょう。
今日は、私が約20年にわたる体調不良を克服した経験から、それぞれの病気の意味とその癒し方についてお話します。
テーマは以下の通りです。
・病気の三層構造
・症状が現れる場所とその意味
・体は語り掛ける
・病気は悪ではない
・病気がくれたメッセージ
ぜひ、最後までお読みください。
病気の三層構造
病気は以下の三つの層で理解することができます。
1. 物質的な層
・細胞・組織レベルでの変化
・目に見える症状
・身体機能の異常
2. 心理的な層
・生命エネルギーの流れの停滞
・感情やトラウマのブロック
・目に見えない歪みや不調和
3. 魂の層
・本質的な自己との乖離
・魂の目的からのずれ
・内なる真実との不一致
これら三つの層は密接に関連しており、どれか一つの層だけを見ても病気の本質は理解できません。
私が見てきた原因の中で特に多いのが、②の心理的な層です。
特に、抑圧された感情の影響は非常に大きいです。
感情の持つ強力なエネルギーは、適切に表現されない場合、体に影響を及ぼします。
例えば、主に抑圧される感情には次のようなものがあります。
1. 怒り
・自己主張を抑制された
・境界線を侵略された
・不当な扱いへの沈黙
2. 悲しみ
・処理しきれていない喪失の体験
・自己存在の拒絶
・裏切りや挫折
3. 恐れ
・未来への不安
・変化への抵抗
・安全への執着
4. 罪悪感
・深い後悔や悲しみ
・過度の責任感
・完璧主義
私も今思えば、感情を露わにすることで、自分が人から批判されたり注意されたり否定されることが
怖く、これらの感情をかなり強烈に抑圧していたと思います。
感情と理性の葛藤
感情と対になるのが理性です。
私たちは、手に負えない不都合な感情を感じると、しばしば理性で抑え込もうとします。
つまり、感情と理性が常に戦っている状態と言えばいいでしょう。
それだけ感情のエネルギーは大きく、時には破壊的にもなり得ます。
例えば、怒りに任せて物を壊したり、人を傷つけたりするケースもあります。
だからこそ、私たちは感情を無意識に恐れます。
「本当はこう感じているんだけれども、理論的に考えてこうだから、やめておく」
例えば、「本当は涙が出るほど悲しいし悔しいけれど、今後の付き合いがあるから、この感情は感じてはいけないんだ」
このように、感情を抑え込む選択をしてしまうのです。
私たちが体と心を病んでいくのは、どちらか一方のみを優先し、片方を抑圧して否定した場合、または、どちらか一方のみに固着して囚われた場合です。
理性で感情を押し殺し、感情を閉じ込めた結果、その感情は無意識の奥深くに眠ります。
これが、多くの人が陥りがちなパターンです。
これで成功だ、もう私は怒りを感じなくて済む、と思うでしょう。
でも、蓋をすることに完全に成功した場合でも慢性的な身体的無感覚や神経症的な症状は避けられません。
なぜなら、体には感情があるからです。
体の声を聞く方法
体と聞くと、固定化された肉の塊であり、物質そのものを思い浮かべるかもしれません。
でも、実際のところ、体には、感覚があり、衝動があり、知覚が備わっています。
そして何よりも体には記憶が蓄積されています。
ところが私たちは、しばしば体の声を聴くことをせず、暴走した頭の声ばかりに耳を傾けてしまいます。
でも、これには突破口があります。
それは、「身体の声を聴くこと」です。
体には、感覚や衝動、知覚、そして記憶が蓄積されています。
これを解きほぐすために、私は瞑想を取り入れています。
実際にいただいた感想の一つをご紹介します。
今日は後半の瞑想で、思いがけない癒しがありました。 左肺の後ろ側に痛みがありました。 意識を沿わせると両親それぞれの最後の場面が現れました。 私は最後に立ち会うことができなかったのですがそのことを悔いている。 罪悪感というよりも深い悲しみのようなものを感じました。もっと幸せを感じさせてあげられる存在でありたかったというような。 その後、息子に私は同じ思いを味わわせてしまうのではないだろうか?などなどモヤモヤしたものが湧いたのち「息子に会いたい!」と思いました。
もっと大切に向き合ってあげたかった、抱きしめてあげたかったという想いが湧いて涙が止まりませんでした。こんなに思っていたとは驚きでした。
過去のことは受け止めてるつもりでした。しかも記憶が曖昧でインナーチャイルドの癒しがいまいちわかってなかった為、どうしたらいいんだろうと思ってましたが、スキャンの時、左足首になんか冷たい風が吹いたのでそこを瑠璃さんにヒーリングして頂きました。 思い出しました。4.5歳の頃自転車のタイヤに左足を巻き込んでぐちゃぐちゃになったことを。 痛かったのに声がでなくて怖かった事。 大人になってからも何故か左側だけ怪我が多く同じ所を30歳位の時にまた変に捻って今も時々痛いことを。 そっかーって凄く腑に落ち、ごめんねーっていう思いで一杯です。 ワークの後のアウトプットでも左側が重いっていわれてびっくり! 終わってから気付きましたが今足が軽いです。 ありがとうございました!
今日は瞑想中に過去の出来事にタイムスリップしました。背中を蹴られた出来事で、背中に悲しみが残っていたのでそこを後半の瞑想で浄化しました。 悲しみを聞いて慰めて光の意識を当てて手当をするイメージです。すると光となって背中の外へ出て上にあがり消えていきました。代わりに光の玉が背中に入りました。 前回も同じように7歳の頃にタイムスリップして 本当はこう感じていたという、私は価値がない、私はいないも同然、私は辛い、私は見て貰えない、私は大切にされないという気持ちを小さい私から聞きました。 この時に生きる術として感情を感じることをやめたらしく、小さい私がしおれて心が死んでしまう映像を見て沢山涙が出ました。 ここが私の根っこだったんだと思いました。 引き続き癒していきたいと思います。
この日、一番気になったのは右肋骨、第4チャクラの右横に詰まりがありました。 ここから悲しみ『存在の承認』と行く言葉が出てきました。 その後、イメージでベビーベットの私をのぞき込んでいる母に私を認めて!と 言う気持ちで見上げていました。 母は育児が怖かった、ちゃんと育てられるか不安だった。 赤ちゃんではなく自分の不安に意識が向いていたんだと感じました。 あれから数日過ぎて、母への想いがまた一つ解けていくと、身体が楽になり 母も一人の未熟な人間だったと、懐かしく思い出すことができました。 ありがとうございました。
このように、体の一部分には、あまりにも耐えがたい、トラウマともいえる痛烈な記憶が眠っています。
それを知ることは、しばしば衝撃的な体験をもたらすでしょう。
私のスタイルは、瞑想を使って、体の声を聴くという方法です。
そして、忘れていた過去の記憶を、読みだしたとき全ての謎が解けるのです。
その結果、何度も繰り返す痛みや、何度も繰り返す症状が消えていくことも少なくありません。
症状別のスピリチュアルな見方
それでは、一般的な症状について、スピリチュアルな見方をいくつかご紹介します。
1. 頭痛や頭部の症状
・思考の過剰
・自己否定的な考え
・決断の回避
2. 目の症状
・見たくない現実の存在
・未来への不安
・真実からの逃避
3. 耳の症状
・聞きたくない情報
・コミュニケーションの問題
・直感の無視
4. 心臓
・愛の表現の抑制
・感情の押し殺し
・人生の喜びの損失
5.肺
・自由の制限
・新しい体験への恐れ
・人生の制限
6.胸
・子育ての問題
・女性性の否定
・愛情の受容と提供の課題
7.胃
・できない体験
・受容の困難
・愛情の不足
8.腸
・手放すことへの恐れ
・古い感情の保持
・変化への抵抗
9.肝臓
・怒りの蓄積
・自己批判
・エネルギーの停滞
これらの症状とスピリチュアルな原因の関連は一概には言えませんが、ヒントや参考になるでしょう。
流れることと流すこと
さて、ネガティブな感情は何十年でも肉体に蓄積し、うっ滞していると聞くと
怒りや憎しみや破壊的な感情を持ってはいけないんだ
それらは体にダメージを与えるから、感じてはいけないんだ、
と思われるかもしれません。
でも、それは違います。
私たちに大きな傷跡を残し、それがのちに大きな病気にまで発展する可能性があるのは
私たちが、その感情を飲み込んだ場合のみです。
感情という強烈なエネルギーの流れを、自ら止めてしまった場合
このひずみは、体に大きなダメージを残します。
そうして、そのダメージが一定程度蓄積したのち、明らかな症状となって表れるのです。
本当は言いたかったのに言えなかった
本当は許せなかったのに、
本当は怒っていたのに
それをうっと飲み込んで、なかったことにしたとき、
そのひずみが、体に蓄積されます。
スポンジは、高さ10mから落としても、壊れることはありません。
それは、スポンジには弾力性があり、衝撃を吸収できるからです。
でも、ガラスのコップはどうでしょう。
高さ10mから落としたら、粉々に砕け散ってしまいます。
どんな衝撃であっても、私たちがそれを全身で感じ、体の中を通り抜けさせることができれば
スポンジのように傷つくことはないのです。
ところが、私たちは、体をこわばらせ、頑なに感情を感じることを拒否しようとします。
すると、まるでコップにひびが入ってしまうように、些細な刺激であっても、我々の身体は壊れてしまうのです。
ある女性は、父親からひどい暴言を浴びせられて育ちましたが
それは、自分が悪いからだ、自分に落ち度があるからだと思い、耐えて耐えて耐え抜いてきたそうです。
それから、会社の上司に理不尽なことでたびたび叱責され、人前でさらし者にされましたが
それでも、自分に能力がないからだと、一切口答えせず、受け入れてきました。
彼女は40代になってから、リウマチと喘息を発症しました。
病気は悪ではない
多くの人は病気を「治すべき敵」「克服すべき障害」として捉えています。症状を取り除くことばかりに目を向け、その根本にある意味を見失ってしまいがちです。
しかし、より深い視点から見ると、病気には私たちの人生に重要な意味があることが分かってきます。それは単なる身体の不調ではなく、私たちの存在の深いレベルからのメッセージなのです。
病気の最も深い原因の一つは、私たちが本来の自分自身から離れてしまっていることにあります。
– 社会の期待に応えようとする
– 他人の価値観を自分のものとする
– 本当の望みを押し殺す
この状態が続くと、魂は私たちに警告を送り始めます。それが最初は小さな体調不良として現れ、やがてより深刻な症状へと発展していくのです。
たとえ、肉体をどれだけ切り刻んでも、細胞のひとつひとつを見ても
そこに病気になる原因は存在しません。
医者の目には本当に病気になった根本原因は映りません。
医者が見れるのは、魂が自己を忘れ、心がエネルギーを歪ませ、周辺のエネルギー空間を歪ませ、細胞を歪ませ、それが肉体に現れた結果です。
科学的事実に置き換えられた病気
多くの方が、覚醒への階段を登る中で
「こんなに頑張る必要はなかったんだ」「無理して強がる必要はなかったんだ」
とおっしゃいます。
今日では、
どんなスキルを身に付けるか
どんな能力を身に付けるか
何ができるのか
ばかりに重点がおかれますよね。
でも、本当に大切なのは、明確に観察できたり、言葉で記述できる部分とは限らないのです。
病気についていえば
・これはどのような病気か
・どのような治療法がいいのか
・どの医者や薬を選ぶべきか
といった、病気を記述したり、病気を改善するテクニックばかりに注目がいき
病気になった本当の原因に目を向けられることはなく
私たちの内面の世界は置き去りにされています。
例え、ガンの診断、検査、症状、治療法について1万時間語ったところで、ガンの原因を語ったことにはなりません。
でも、見事にこれで問題が解決したかのように錯覚してしまうのです。
どれだけ医学書を読んで、肉体への対処が上手くなったからといって
それは病気の半分を捉えたことにしかならず
本当に大事な、本質的な原因については依然として取り残されたままです。
魂からのメッセージ
病気は、魂からの愛に満ちたメッセージです。
それは私たちに立ち止まることを促し、今の生き方を見直したり、本質的な価値を追究したり、内なる声を聴くことの大切さを教えてくれます。
そして、新しい方向性を示してくれるものでもあります。
魂の目的を思い出し、真の自己との再会を果たし、より本質的な生き方へ導いてくれるのです。
さらに、そういった経験を通じ、深い気づきを経て、意識の拡大を図っていくのです。
そう、もともと我々がそうであったように、スピリットの世界へと戻っていくのです。
病気を通じて私たちは:
本当の自分と再び出会い、自己に対するより深い理解を得、新しい意識へと目覚める
チャンスを与えられています。
どんなに辛い症状や状況であっても、それには必ず意味があります。その意味に気づき、受け取ることで、病気は単なる「苦しみ」から「贈り物」へと変容していくのです。
私自身、20年以上の体調不良を通じて、このことを身をもって学びました。それは決して易しい道のりではありませんでしたが、振り返ってみると、この経験がなければ今の深い理解や気づき、そして使命に目覚めることはなかったでしょう。
私がこの不調と真剣に取り組む中でたまたま受けたヒーリングがあまりに強烈だったため、ヒーラーを志すようになりました。
そう考えれば、私にとっての病気とは、使命に目覚めるための宝物でした。
でも、当然のことながら、この動画は、病気に関する物理的要因や環境要因、遺伝による影響などを否定したり除外するものではありません。
私がここで目指しているのは、非常に現実的で多角的な視点を得ることであり
スピリチュアルな世界を完全に否定し、目に見える物しか信じないという態度も間違っていますし
あまりに物質世界を軽視しすぎて、スピリチュアルな世界に一方的に原因を探す態度もまた、間違っています。
ひとつ前の段階を捨てるのではなく
ひとつ前の段階に軸足を置きながら、次の段階へ足を踏み入れる。
つまり、より広い範囲へと意識が拡大していくこと。
これが本当の変容です。
病気の原因を肉体レベルではなく、心のレベルにあると捉えるならば
肉体レベルでの病気の根源を探すのをやめる、というわけではありません。
肉体レベルのケアを全く何もしなくてよいかというとそうではありません。
今までは、肉体レベルしかケアしたり問題を探していなかったけれど
それに加えて、心のレベル、例えば「言えなかったことはなかったかな」とか「我慢していたことはなかったかな」とか「負担に感じていたことはなかったかな」とか「本当はやりたくないのにやっていたことはなかったかな」とかそれについて考えてみる、ということです。
私はある時を境に、田舎に引っ越し、食事も全てオーガニックに変えたのですが
もし私が、自分の生活を改めなかったら、有害な物質を体内に入れるのをやめなかったら
私は今のような健康を取り戻すことはできなかったでしょうし
今のような仕事をすることもなかったでしょう。
あなたの中には、必ず答えがあります。焦らず、優しく、その答えに耳を傾けていきましょう。
まとめ
病気は私たちに本質的な気づきと癒しをもたらす存在です。
肉体、心、そして魂の三層すべてを見つめ直し、病気の奥にあるメッセージを受け取ることで、私たちは新しい次元の健康と幸福を手にすることができます。
このブログが、あなたの新しい気づきと理解のきっかけとなれば幸いです。
それではまたお会いしましょう。愛と平和な世界へ、瑠璃でした。