目覚めの扉を開く!グルジェフの「自動機械からの脱出」方法とは?

こんにちは、瑠璃です。

今日は前回に引き続き「20世紀最大の神秘思想家と呼ばれたグルジェフ」
の思想をご紹介したいと思います。

今回の記事は、いかにして目覚めることができるのか?、いかにして人はこの眠りから逃れることができるのか?、そして悟りへの唯一の正しい道とは何か?という根源的な疑問を解決する内容になっています。

さらに、「どうしたら戦争を止めることができるのか?」といった話題にも触れており、非常に濃い内容となっています。

前回の記事では、人のレベルを7つに分け、その7つが文化などとどう関わるのかを説明しました。人間社会を捉えるユニークな視点をご紹介した内容です。

前回の記事と合わせてご覧いただくと、より理解しやすくなりますので、ぜひチェックしてくださいね。

前回の簡単なおさらい

前回の記事では「人間第一番から第七番」までについて解説しました。人間は最初、第一番から第三番のいずれかで生まれ、その状態は「自動機械」と呼ばれるものです。

しかし、人は何らかの修練によって第四番以降になることができます。第四番以降は「自動機械」から抜け出た状態であり、真の自己意識で活動することが可能になります。

それでは、これからグルジェフの弟子であったウペンスキーが
グルジェフの言葉を記録した「奇跡を求めて」という本から
「4つの意識のレベルと人間第一番から七番との関係」について紹介します。 

人間の四つの意識状態と「眠り」

人間の精神的機能、及び肉体的機能は、相異なる意識状態のもとで働くことができるという事実を把握しないと、そのどちらの機能も理解することはできない。

人間には全部で4つの意識状態がある〔彼は〈人間〉という言葉を強調した〕。しかし、普通の人間、つまり人間第一番、第二番、第三番は最も低い2つの意識状態の中でだけ生きている。2つの高次の意識状態は彼には近づきがたく、たとえその状態を垣間見たとしても理解できず、普段の状態からそれを判断してしまう。

2つの普通の意識、すなわち最も低い意識状態のうちの1つは眠りであり、言いかえれば、人間がその中で人生の三分の一、いや多くの場合その半分を費やす受動的な状態だ。

そして第二は、人間がその中で眠り以外の時間を過ごす状態、すなわち道を歩いたり、本を書いたり、深遠な問題を論じたり、政治に参加したり、殺しあったりする、つまり彼らが行動的だと考え、〈明晰な意識〉とか〈覚醒した意識状態〉とか呼んでいる状態だ。

しかし、〈明晰な意識〉とか〈覚醒した意識状態〉という言葉は、冗談にすぎないのではなかろうか。

実際、明晰な意識とは何であるべきか、また人間が現にその中で生き、行動している状態がいかなるものであるかを認識すれば、特にそんな気がするだろう。

 

グルジェフは、人間第一番、第二番、第三番は自動機械人間だとしました。この低い2つの意識状態は、まさに自動機械のことを指しています。

すなわち、人間第一番から三番までは、4つの意識状態のうち下二つ、第一の意識状態、第二の意識状態に相当します。

引用を続けます。

意識の第三状態とは何か

意識の第三の状態は自己想起、あるいは自己意識、もしくは自己の存在の意識である。普通我々はこの意識状態をすでにもっているか、それとも望めば得られると考えている。科学並びに哲学は、我々はこの意識状態を所有してはおらず、また欲求や決意だけでそれを自己の内部に生みだすことはできないということを見落としている。

 

この中で特筆すべきは、「我々はこの意識状態を所有してはおらず、また欲求や決意だけでそれを自己の内部に生みだすことはできないということを見落としている」と明確に述べられていることです。

実際に、私が見たところでも、意識の第三状態に到達している方は全体の1%にも満たないほどです。

現在の地球の状態では、大多数の人が意識の第一状態、第二状態で生活しています。

 

この第三の意識になって初めて、自動機械から抜け出ることができます。

人間四番となることで、第三の意識状態を獲得し、自動機械から脱却することができるということですね。

私たちが目指したいのは、ここです。

引用を続けます。

第四の意識状態:「客観的な意識状態」

 

意識の第四の状態は、客観的な意識状態と呼ばれている。この状態では、人間は事物をあるがままに見ることができる。意識のこの状態も人間の中でひらめくことがある。

あらゆる国の宗教に、この種の意識状態の可能性が述べられており、〈悟り〉とかその他いろいろな名称で呼ばれているが、いずれにせよ言葉で表すことはできない。

客観意識への唯一の正しい道は、自己意識の開発を経るものである。

もし普通の人間が人為的に客観意識の状態に置かれ、後で普通の状態に連れ戻されたとしても、何も覚えてはおらず、自分はしばらくの間意識を失っていたのだと思うだろう。

しかし、自己意識の状態では、人間は客観意識の状態のひらめきを得、しかもそれを思いだすことができるのだ。

人間の意識の第四の状態とは、他のものとは完全に違った存在の状態である。それは内的生長と長期間の困難な自己修練の結果なのだ。

 

 

グルジェフは明確に述べていないようですが、この最も高い第4の意識状態は人間第六番七番に対応しているものと思われます。

悟りや覚醒といった表現で扱われている意識状態こそが、この第四の意識状態であり、物事をあるがままに見ることができるというエゴが入らない状態のことを指します。

私が瞑想中、この第四の意識状態を経験した時、まるで自分が光の中に持ち上げられたような感覚で、自分の体が細かい粒子になって光の中に浮いているような強烈な恍惚感が自分を貫いたような感覚でした。

引用を続けます。 

第三の意識状態:「自然な権利」

しかし、意識の第三の状態は、人間がそのあるがままの状態でもつ自然な権利であり、もしそれをもっていないとしたら、それはただ彼の生活の間違った状況のためなのだ。

現時点では、意識の第三の状態は、非常に稀なひらめきという形でしか起こらず、そのため、それを彼の中で多少とも恒久的なものにするには特殊な訓練という手段によるほかはないと誇張なしに言うことができる。

ほとんどの人、いや、教養人や思索家にとってさえ、自己意識の獲得を妨げる主な障害は、自分はそれを所有していると思いこんでいること、自分は自己意識とそれに関連するあらゆるもの、恒久的で不変の〈私〉という意味での個体性、意志、為す能力、その他を所有していると思いこんでいることだ。

もし君たちが誰かに、その人はすでにもっていると信じているものを、長く厳しい努力によって初めて得ることができると言ったところで、彼が興味を示さないだろうことは明らかだ。

それどころか、彼は君が気違いか、それとも個人的な利害から彼をだまそうとしているのだとさえ思うだろう。

 

非常に面白くなってきました。

「ほとんどの人、いや、教養人や思索家にとってさえ、自己意識の獲得を妨げる主な障害は、自分はそれを所有していると思いこんでいること、自分は自己意識とそれに関連するあらゆるもの、恒久的で不変の〈私〉という意味での個体性、意志、為す能力、その他を所有していると思いこんでいることだ」とありますね。

つまり、グルジェフはここで根本的な問題について指摘しており、その問題とは、自分が自己意識や成す能力を持っていないにもかかわらず、持っていると勘違いしてしまっていることだと述べています。

悟りや目覚めを目指す方が成果をあげられない最大の理由は、この認識欠如であり、自動機械のまま、自己意識をもたないまま、スピリチュアルなトレーニングや修行を行ってしまうからなのです。

引用を続けます。

自己を想起することがいかに困難か

こういった様々な意識状態の違いがどんなものであるかを理解するために、眠りと呼ばれる意識の第一状態に戻ってみよう。これは完全に主観的な意識状態だ。

人間は夢にひたりきっており、それを覚えているかどうかは問題ではない。もし何らかの現実の印象、音とか声、暖かさ、冷たさ、自分の身体の感覚などが入ってきたとしても、それらは単に幻想的、主観的イメージをもたらすだけだ。

それから彼は目を覚ます。一見すると、これは全く違った意識状態に見える。彼は動いたり、他の人と話したり、先のことを予想したり、危険を見てそれを避けたりすることができる。彼が眠っているときより良い位置にあるのは理の当然だ。

しかし、もし我々がもう少し深くものごとの中に入っていけば、もし彼の内的世界を、思考や行動の動機を覗きこんで見れば、彼は眠っている時とほとんど同じ状態にいることがわかるだろう。それどころか、もっと始末が悪いのだ。

というのは、眠っているときは受動的で、つまり何もできないのだが、起きている状態ではいつでも何かをすることができ、そしてすべての行為の結果が彼自身に、また、まわりの人々に悪影響を及ぼすからだ。しかも、それでも彼は自分自身を覚えていないのだ。

彼は機械であり、彼に関するすべてのことは起こるのだ。彼は思考を止めることができず、想像力、感情、注意力をコントロールすることもできない。

「私は愛する」「私は愛さない」「私は好む」「私は好まない」「私は欲する」「私は欲しない」という主観的な世界、つまり自分で自分は好むと思っている、自分は好まないと思っている、自分は欲すると思っている、自分は欲しないと思っている、そういう世界に住んでいるのだ。

彼は真実の世界を見ていない。真実の世界は空想の壁によって隠されている。彼は眠りの中で生きているのだ。彼は眠っている。

「明晰な意識」と呼ばれているものは眠りであり、しかも夜のベッドの中の眠りよりもずっと危険な眠りなのだ。

人類の歴史上のいくつかの出来事を取り上げてみよう。例えば戦争だ。現在戦争が進行している。それは何を意味しているのだろう?

それは、何百万の眠っている人々が、他の何百万の眠っている人々を殺そうとしているということだ。もし彼らが目覚めていれば、もちろんこんなことはしないだろう。すべての出来事はこの眠りのせいなのだ。

意識の2つの状態、すなわち眠りと覚醒状態は共に等しく主観的だ。自己想起を始めることによって初めて、人は真に目覚めるのだ。

そのとき、森羅万象は異なった様相と意味とを持ち始める。彼はそれが眠っている人々の生活であり、眠りの中の生活であることを知る。人々は言うこと、為すことすべてを眠りの中で行うのだ。こんなことにはこれっぽっちの価値もない。

現実の中では、覚醒と、覚醒に導くものだけが価値を持つのだ。

何度私はここで、「戦争を止めることができるかどうか」と聞かれたことだろう。もちろんできる。そのためには人々が目覚めることだけが必要なのだ。

これは些細なことのように思えるだろう。しかし、実は為しうることの中で最も難しいものだ。というのも、この眠りは環境全体、まわりのあらゆる条件によって引き起こされ、維持されているからだ。

いかにして目覚めることができるのか? いかにして人はこの眠りから逃れることができるのか? これらは、これまでに人間が直面した最も重要な、死活に関わる問題だ。

しかしその前に、眠りという事実そのものを認識する必要がある。しかしこれは、目覚めようと努力することによってしか認識することができない。

自分は自己を想起していないこと、また自己を想起することはある程度目覚めることを意味するのだということを理解し、また同時に、自己を想起することがいかに困難かを経験によって了解するとき、人は単に欲求をもつだけでは目覚めることはできないのだということを悟るのだ。

より正確には、人は一人では目覚めることはできないと言うことができる。

しかしもし、例えば20人の人が、最初に目覚めた者が他の者を起こすという取り決めをしておけば、彼らはすでにいくらかの可能性を手にしているわけだ。

しかしこれさえも、20人全員が同時に眠り、それでいて「自分たちは目覚めているんだ」という夢をみんなで見ることがありうるために、十分とはいえない。

だからそれ以上のものが必要となる。すなわち、眠っていない者、彼らほどたやすく眠りに落ちこまない者、あるいは意識的に(そうすることができ、しかもそれが彼自身にもまわりの者にも害を及ぼさないときに)眠ることのできる者に世話をしてもらう必要があるのだ。

彼らはそんな人間を見つけ、そして自らを目覚めさせ、再び眠りに落ちこまないために彼を雇わなければならない。これ以外の方法では目覚めることはできない。これこそ理解しなければならない点だ。

(途中省略します)

さて、以前君たちに指摘したことに注意してほしい。私が〈語の十全な意味における人間〉と呼ぶ完全に発達した人間は、意識の4つの状態を所有しているはずだ。

普通の人間、つまり人間第一番、第二番、第三番は意識の2つの状態の中で生きているにすぎない。彼は意識の第四の状態が存在するということを知っているか、少なくとも知ることはできる。

よく言われる「神秘的状態」等々はすべて誤った言い方だが、もしごまかしや模倣でないとすれば、それらは我々が意識の客観状態と呼ぶもののひらめきなのだ。

しかし人間は意識の第三の状態を知らず、想像だにしない。もしくは想像することもできない。というのも、もし彼に意識の第三の状態とは何か、それがいかなるものであるかを説明できたとしても、彼はそれは自分の普通の状態だと言うだろうからだ。

彼は自分を、自己の人生を統御している意識的人間だと考えているのだ。これに反する事実はみな偶発的で一時的なものとみなし、ひとりでに変わっていくと考えている。

自分は自己意識を所有していると考えるのであれば、当然のことながらそれに近づこうとか手に入れようとかはしないだろう。

しかも、この自己意識、すなわち第三の状態なしでは、まれなひらめきを除いて、第四の状態を得るのは不可能だ。

しかしながら、知識、つまり人間がそれに向かって奮闘していると自ら主張する真の客観的な知識は、意識の第四の状態においてしか得られない。つまり、それは意識の第四の状態の完全な所有を条件としているのだ。

通常の意識状態で獲得された知識は夢とまぜこぜになっている。ここに君たちは人間第一番、第二番、第三番のありようの完全な描写を見ることができる。

 

はい、ここまでが引用部分です。
グルジェフの的を得た描写と表現力に私はこの部分を何度読んでも感動してしまうのですが
ようするに、ほとんどの人は眠っている状態であり、自らが眠っている事にも気づいていない
眠っている状態では、主観的な世界に住んでおり、自らをコントロールできないばかりか、実際に行動に移すことができてしまうという点で危険であると述べているのですね。
眠っている人は、起きている状態が存在することや、その状態を想像することすらできません。

でも、ここに明るい話があります。
グルジェフは修練を経れば、客観的な意識状態を獲得することができる、と述べているのですね。
実際に、彼は人間第四番以降を獲得するためのスクールを設立しました。

本日のまとめ 目覚めるための3つのポイント

それでは最後に、今日のグルジェフの話を踏まえて、私から「目覚めるまでの3つのポイント」をお届けします。

①眠っている人はまず「自分が眠っている」ことに気づいていくこと

これが覚醒のための最初のステップです。眠っていることに気づかず、霊的な修行を積んだとしても、夢の中を模索するようなもので、地に足のつかない幻想や、低次元の存在達に囚われ、歪んだビジョンを見せられるなど望ましくないことが起きてしまいます。

自分にとっての「当たり前」を疑うことが、目覚めのスタートです。

②自らの機械性を認識していくこと

過去の経験から機械のような画一的な行動パターンを作り上げ、それを繰り返しているということに気づいていきましょう。「気づく」というのは非常に大きな力を持っています。全ては「気づく」ことから始まります。

「気づくこと」で、自らの意志で決めていると思っていたあらゆる行動が、実は外からの刺激に反応を繰り返す機械的反射に過ぎなかったということが体感として分かっていきます。

自分が過去に経験した嫌な出来事や嫌な人などを紙に書き出すことで、そのパターンに気づくことができます。

③今の自分では理解できない話を聞いたとしても、頭ごなしに否定しないこと

四つの意識状態は全く異なるので、第一の意識状態の人が、第四の意識状態の人の言うことを聞いたとしても、理解できず、否定してしまいがちです。

ですが、自分が眠っている可能性を念頭に置いておけば、どんな霊的な経験や非現実的な考え方も正しいという可能性を残しておくことができるでしょう。

遅かれ早かれ、いずれあなたは高い意識レベルを経験されるのですから、真偽のほどを判断するのはその時になってからでも遅くはありません。あなたがすでに高い意識レベルに達しているのであれば、このことがよく理解できるはずです。

 

ということで今日はグルジェフの人間レベルと意識状態のお話でした。非常に難解な内容だったと思いますが、ここまでお読みいただいた方は本当に素晴らしいと思います!

グルジェフの言う通り、正しい師に付き、適切な修行を積めば、意識の第三の状態、そしてその先には意識の第四の状態が待っている。私もこんな風に感じています。

私は目覚めるにあたっては「出会い」の比重が非常に高いと感じていて、特に最近は、適切な時に、適切な場所で、適切な人と出逢う――これが全てと言っても良いほどです。

見ていると、目覚めた人と出逢うことで一気に目覚めが加速していくんですよね。まさに、「人は一人では目覚めることはできない」のです。

これからも本当の目覚めについてさらに深堀りしていきますので、ぜひついてきてくださいね!

それでは、またお会いしましょう。瑠璃でした。