私たちはなぜ生まれ、なぜ死ぬのか?宇宙と意識の驚異の真実

今日は、我々を作った存在と意識の本質についてお話します。

あなたは、なぜ私たちが「今ここにいるのか」不思議ではありませんか?
なぜ自分が「人間をやっているのか」。
生きる意味とは何なのか?
そして、なぜ人間は、一定期間で死を迎える必要があるのでしょう。

残念ながら、私たちはゲームの中にいきなり放り込まれ、強制的に人生というゲームをスタートさせられるばかりで、肝心のゲームのルールがなぜ存在するのかを知らされていないのです。

もしこれらの疑問がクリアになれば、不安から解放され、私たちは今この瞬間から、もっと確信を持って生きることができるでしょう。

今日は、
・意識の本質とは?
・なぜ我々は生まれたのか?
・魂のある人とない人の本当の起源
・人類を作り出した創造主とは
・死が存在する本当の理由

についてお話します。

今回は、UFOアブダクション研究で世界的に有名なコラード・マランガ博士の研究を参考にしながらお話します。
今日も度肝を抜くような内容になっていると思いますので、ぜひ最後までご覧ください。

それでは今日の本題です。

我々の本質

あなたは、「あなたとは何ですか?」と聞かれたらどんなふうに答えますか?
・自分は水とタンパク質と脂肪とミネラルである。
・自分は37兆個の細胞である。
・自分は考える生き物である。

どれも正しいでしょう。
でも、ここで重要なことは「あなたの本体は肉体ではない」ということ。
肉体と意識を明確に区別する必要がある、ということです。

37兆個の細胞が集まったところで、細胞の塊が突然思考し始め、意識を持ち始めるわけではないのです。

我々の本質は、肉体とは全く別のところにあります。
それは何か?

そう、それが 意識 です。
全ての始まりであり、全ての根源であり、肉体を包含する比べ物にならないくらい大きな存在です。

意識とは何か?

意識はスピリットであり、生命の火花であり、この肉体を機能させ動かしている根源的なものです。
意識は三次元世界の何ものとも異なり、物質ではありませんから、壊れたり、失われたりすることはありません。

意識は光の源であり、永遠です。
ですので、常に存在しています。
つまり「始まり」と「終わり」がないのです。
過去にも存在し、これからも永遠に存在し続けるでしょう。

ところが私たちはこの永遠性について理解するのに非常に苦労します。
なぜならば、私たちの生きている世界の中のものは全てが有限だからです。

食物は腐り、
コップはいつか割れ、
人生は有限で、終わりが来ます。

私たちは、一度としてこの目で「永遠に存在する」ものを見たことがないのです。
だからこそ、実感が持てなくて当然といえば当然です。

そう、魂や意識を除いては。

目覚めた意識と一人目の創造主

意識は、ある瞬間、自分自身に気が付きます。
ところが、この自分が何なのか、どういった存在なのかが分かりません。

自分を映し出してくれる鏡があれば…と思いますが、鏡すらも存在しません。

そこで、自分とは何者なのか、自分はいったいどういった存在なのか。
それを映し出す場として、あるものを作りました。
それが この宇宙です。

意識は、この宇宙を通じて、自分自身を見て、自分自身を経験したいと望みます。
この宇宙は、意識が創り出した一種の仮想空間、バーチャル世界であり、意識は仮想空間という鏡を通じて、自分自身を知ることができるのです。

意識は常に、選択をすることができます。
意識は常に、いつでも右でも左にでも、上にも下にも、前にも後ろにも行くことができます。
その瞬間、自由意思が生まれます。

ところが、自分一人では、経験できることも限られてしまいます。
もし自分の代わりに100人がそれぞれ独自の体験をしてくれて、その体験を自分自身の体験として統合できるのであれば、自分一人の場合の100倍の経験ができることになります。

そこで最初の創造主は、その存在を通じて自分が経験できる存在を創造することを決めました。
ここで作られた存在を「原始の人」と呼ぶことにします。

この「原始の人」にはいくつかの特徴があります。
彼らは魂を持っていて、自分自身と繋がっていました。
彼は創造主の分身のようであり、時には創造主と混ざり合うこともありました。
つまり、「原始の人」は、創造主によって、ほとんど完璧な存在として創造されたのです。

彼らは魂を有し、肉体も今の私たちのように100年程度で寿命が来るのではなく、不滅でした。
聖書の創世記ではアダムと共に表現されています。

キリスト教の創世神話では、神は世界を一週間で作りあげ、最後に自分に似た姿であるアダムを作った、とあります。

これでめでたし、めでたしだと思うでしょう。
魂を持った様々な存在が、「私」を体験するために方々に散らばり、様々な体験を積んでいく…。
でも話はここで終わらなかったのです。

新たな問題が生じます。

この創造主の光を分け与えられた「原始の人」が唯一経験できないことがあったのです。
それが「死」です。

意識には全てが存在します。
ただひとつ、「死」を除いては…。
私たちにはにわかに想像できないかもしれませんが、意識は「死」以外の全てがあるのです。

私たちは死を恐れ、死を避けようとしますが、意識は反対に「死」とはどういうものか体験したい。
自ら死を経験したいと思っています。

私たちは永遠を望みますが、反対に、意識は「始まり」と「終わり」の経験を望むのです。
これは結局ないものねだりかもしれませんね。

彼らは不死の存在であったため、死を経験することができません。
そこで誰かに代わりに経験をしてもらおう、としたのです。

そこで今度は彼ら自身が創造主となることを決めます。
彼らが他の存在を作り、その存在によって「死」を知るのです。

聖書によれば、アダムは生命の木の実を食べることで死すべき存在となり、エデンから追放されます。

聖書では、アダムは「エデンの園にあるものは何でも食べてもいいが、例外がある」と言われていました。
それが禁断の果実である「善悪の知識の木の実」と「生命の木の実」です。

ところがヘビにそそのかされ「善悪の知識の木の実」を食べてしまい、怒った神から、イブと共に楽園から追放されてしまいます。

死を経験する存在の誕生

ここまで、意識が自分自身を経験するために、他の存在を作り、死を経験させようとしたというところまで見てきましたね。

さて、「永遠なるスピリットが、死を経験する」ためにある存在を作ります。
そこで作られたのが、意外な存在でした。
地球外生命体、今でいうエイリアンです。

「原始の人」はエイリアンを創造し、彼の魂を埋め込みました。
そしてエイリアンは死を経験します。
すると、自分が入っていたエイリアンという容器の死を待って、死を経験した魂は「原始の人」のところに帰るのです。

このように有限な肉体の中で死ぬという経験をした魂は、またひとつ新たな体験をしたことになります。

死は魂にとって必要な経験であり、エイリアンという死すべき肉体に入ることによって、魂は初めて死を経験することができるのです。

ところがエイリアンの方はこれに納得がいきませんでした。
なぜなら、永遠の命である魂に魅了され、彼らもそれを手に入れたいと望んだからです。

エイリアンは時には強引に魂が入っている肉体をはぎ取られることもあるようです。
彼らは死を体験した後、本来なら魂を「原始の人」へ返すところ、自分のものとして取っておこうとすらしました。

永遠の命である魂を手に入れたい。
そこでエイリアンはこの状況を打開しようと試みます。
その解決策が、我々人類を作ることだったのです。

人類の誕生とエイリアンの狙い

人間は、「原始の人」のDNAを模倣して作られました。

まずエイリアンはネアンデルタール人のDNAを改変し、クロマニヨン人を作り出しました。
クロマニヨン人というと、現在分かっているのは、後期旧石器時代に属し、約4万~1万年前に生存していたとされていること。

骨格が頑丈で頭が大きく、極めて現代人に似ており、現代人と同じホモ・サピエンスに属しているということです。
魂のレベルから見れば、クロマニヨン人のDNAは魂と互換性があり、魂を宿しておくことができたそうです。

実際に彼らは、精密な石器などの道具を作り、優れた洞窟壁画や彫刻を残していたそうです。
また特筆すべきなのが、死者を丁寧に埋葬し、呪術を行った証拠もあるということです。
魂を宿していたと聞いても違和感がないかもしれませんね。

そして、クロマニヨン人の中に魂が入ると、エイリアンは待っていましたとばかりに、魂を持つ人間を誘拐し、あらゆる目的で彼らを利用します。

以前、このブログでもマランガ博士の研究をご紹介しましたが、エイリアンの狙いは、彼ら自身のDNAを操作することによって、エイリアンと人間のハイブリットのような個体を作り出し、そこに人間の魂を乗せ、不死の命を手にすることです。

魂と肉体は適合性の問題があり、魂を連れてきて、肉体という容器に放り込むだけでは魂は肉体の中に居続けることができません。
どんな容器でもOKというわけではないのです。

そこでエイリアンのDNAを改変し、人間から奪った魂をエイリアンという容器に入れられるようにし、不死の命を手にしようとしているのです。

永遠の命を手に入れるのか…。
それとも死というものを体験するのか…。
私たち人間が知らないところで、ひそかな戦いが行われている、とマランガ博士はいいます。

マランガ博士の研究

実はここまでお伝えしてきたことは、マランガ博士の研究によって、UFOにアブダクションされた被害者の魂が退行催眠によって語ったことから導き出されたものです。

コラード・マランガ博士は、イタリアのエイリアンのアブダクションにかかる非常に長いキャリアを持つ研究者で、科学者でもあり、イタリアのピサ大学の有機化学の教授も務めている、非常に有名な人物です。

彼は肉体から分離した拉致被害者の魂に、過去の出来事や地球の進化について質問をしました。
膨大な調査研究の結果、これらの結果が導き出されたというのです。

彼の主張はこうです。

「エイリアンは永遠に存在する魂を持っていないため、人間の魂を『電池』として閉じ込め、ハイジャックし、自らの永遠の命を手に入れるために人類を利用しようとしている」。

さらに今回の話を踏まえると、「人類はエイリアンによって、魂を乗せるための容器として作られた」ことになります。

博士が退行催眠を繰り返す中で発見したのは、エイリアンに誘拐された人々の中で起こっている 「断絶状態」 でした。
エイリアンに誘拐された人々の中では、魂(SOUL)、霊(SPIRIT)、精神(MIND)が分断されており、これがエイリアンから知らず知らずのうちに魂を利用され、当人がそれに気づかない状況を作り出すのに手を貸している、と彼は述べています。

第二の創造主

さらに話はここでは終わりません。
もうひとりの創造主が現れます。

第二の創造主は、魂も体もなく、先ほど述べた第一の創造主とは全く異なる存在でした。
そして彼らも例によって、自分より劣った創造物を生み出しました。
これは 肉体を持たないエイリアン で、この種類のエイリアンは「ラー」と名付けられており、背の高い翼のようなものを持っているようです。

彼らの目的は、この世界を抜けて最初の創造主がいる場所へと戻ることです。
そのために、体を作るか、あるいは他の人の身体を使おうとします。

マランガ博士は、人間の魂を盗もうとするエイリアンは魂を持っておらず、霊(SPIRIT)、精神(MIND)を持っている種族。
中には 精神(MIND)しか持っていない種族 もいます。

肉体を持たないエイリアンもいて、彼らは霊(SPIRIT)に似てはいますが、魂(SOUL)とは違う何かを持っていると語ります。

私たちの本当の目的

さて、ここまでUFOにアブダクションされた人の研究から導き出された内容についてお伝えしてきましたが、私たちにとっては恐怖の対象である「死」も、永遠の命しか知らない存在からすれば、 憧れの体験ということになるでしょう。

私たちが生きている理由、それは、生や死や出会いや別れ、創造や破壊を通じて 「自分自身を体験すること」「自分自身を知ること」だったのです。

もし、行為そのものには何の価値もなく、それによって得られる 「体験」 にこそ価値があるとしたら…。
全ての物事そのものの価値は、全く変わらないということになります。

そしてなぜ体験するのか?
なぜ喜びや悲しみや嫉妬や、苦しみを体験するのか?
その理由が「それらの経験を通じ、自分自身を経験すること」だとしたら…。

外側で起こっていることそのものは、大して重要ではないという結論に至ります。
それよりも大切なのは、その出来事を通じて、あなたが あなたの中に何を発見するかということであり、あなたそのものを体験するということです。

私の体験

実は、これ私も痛感させられた出来事があります。

私は過去、人と同じようなものを持ち、人と同じような生活ができれば幸せだろうと思い、必死に努力をしてきました。
ところが何かがおかしいと感じていたのです。

遠くのものに手を伸ばし、それらを求め続ければ続けるほど、自分が疲弊し、本当に欲しているものから遠ざかっていっている気がしていました。

ただ欲しいものを追い求めることに空虚感を感じていたある日、私が欲しかったのは 手に触れて、目に見えるものではないとはっきりと気づきました。

私が本当に望んでいたことは 「私を体験すること」であり、自分が他の誰でもなく 自分自身でいること。
自分らしくいて、自分らしく考え、自分らしく振舞うことだと気づいたのです。

それまで私は、誰かでいて、誰かのように話し、誰かのように振舞わなければならないと、自分を調教していました。
なぜなら、自分は 自分でいる価値がないと感じていたからです。

でも、自分自身でいること。
それこそまさに 意識がしたかったことだったのです。
そして自分が自分でいられるようになると、これほどすがすがしい気分でいられるのかと驚きました。

例えば、1枚の絵画に何億円の値が付く世界的アーティストであっても、子供たちに絵を教えている美術の先生であっても、家で好きな絵を趣味で描いている主婦であっても、やっていることの優劣は全くないのです。

もしかしたら、家で好きな絵を趣味で描いている主婦の方の方が、有名なアーティストよりも、絵を描くという体験によって得られるものは大きいかもしれません。

行為そのものではなく、行為によって 「自分自身を知ること」「自分自身でいること」の方がはるかに大切なのです。
それこそが 創造主がこの複雑多岐な宇宙を作った理由であり、このバーチャル世界を鏡として、我々は自分自身をもっと深く知ることができるのです。

最後に

私は、自分自身を体験してこそ、創造主のもとに戻ることができると思っています。
なぜならそれが、創造の最初の目的なのですから。

瑠璃さんのブログ面白いな~で満足せず、興味を持ったらぜひあなた自身の人生でそれを体験してくださいね!

失敗することも落ち込むこともあると思いますが、大切なのはそれを通じて、あなたが自分を感じることです。

真実の向こう側、愛と平和な世界へ。
瑠璃でした。